ゆーきーブログ(仮)

ゆーきーのブログ(仮)

仕事が煮詰まる

月曜日までにまとめなければならない資料を修正しているが、なかなかできあがらない。

毎日残業し、土日は休みたいと思っているが、このペースだと厳しい。

しかし休まず仕事すれば、来週の仕事のペースがガクンと落ちそうだ。(月曜日でゴールというわけではない。)

 

部長とN課長の価値観が全く異なることがこの仕事を難しくしている。1人の意見を反映させるのと、異なる2人の意見を反映させるのでは大違いだ。

 

しかも資料が1ページならまだしも、50〜60ページはある。

 

指摘されたことだけをやり、指摘されてないことはやらなければ、(それがもし指摘されるであろうと予測されることだとしても)時間は短縮できるかもしれない。

 

しかしそれはそれで、「前もって検討されていない!」と怒られるだろう。

 

仕事が雑な私の課長や係員は、事前準備が疎かで、いざという時に慌てふためくのだが、そのいざという時が過ぎるとケロッと忘れている。反省がない。

 

ある意味羨ましい。人生トータルで考えれば、そういう性格の方が楽かもしれない。アリとキリギリスで言えばキリギリス。

 

キリギリスは冬に凍えて飢えるときは苦しみ、後悔するだろうが、死ねば苦しみはなくなる(?)だろうし、アリに助けられたとしても、その後勤勉に働くことはないだろう。

 

✳︎

 

この資料作成の仕事、やってるベクトルが合っているのか不安になってきた。一番いいのは一部を部長に確認してもらうことなのだが、部長は「各係長間で揉め。」と言うだろう。しかし各係長は忙しいから、案があればそれに従うだろう。そしてメクラ印を押されたような案を管理職間に提出しても、部長とN課長に叩かれる。

アパート異臭騒動

以前から、妻はアパートの玄関付近で「臭い。生ゴミの臭いがする。」と言っていた。私は鼻が悪いので、分からない。妻は「住人の誰かがゲロ吐いたのかな?生ゴミの汁こぼしたのかな?」などと犯人探しをしていた。ウチの部屋のドア付近は水を流したりもしていた。

 

数日前、妻はついに痺れを切らし、アパートの管理会社に電話をした。「生ゴミ臭いんで、確認してください。」

 

そしてその日、アパートの玄関付近ですれ違った住人に、「この辺、生ゴミ臭くないですか?」と言ったらしい。管理会社に電話した手前、生ゴミ臭いと感じているのは私だけではなく、他の住人もそう感じていると確認したかったのだそうだ。

 

妻に声をかけられた男性は、「ああ・・・、花壇に肥料をやったからかなあ・・・?」と答えたらしい。

 

花壇に肥料?花壇を手入れしているということは・・・?「大家さんですか?!」妻は大家さんの顔を知らなかった。(私も知らない。)図らずも犯人は大家さんであった。妻はすごすごと引き下がった。

 

しかし妻は言う。「肥料はあんな臭いしないよ。もしかして大家さん、生ゴミ発酵させないで、そのまま花壇に埋めてるんじゃないかなあ?」しかしそうだったとして、そんな事大家さんに言えまい。いや、ハッキリ言ったのか?

 

それから妻に管理会社から電話がかかってきた。「臭いの件、大家さんに伝えておきましたので。」犯人であろう大家さんに、妻及び管理会社からダブルで苦情。なかなか気まずい。

 

管理会社の人は、「私も確認に行きましたけど、臭いしませんでしたけどね。」と言ったらしい。管理会社の人も、私と一緒で、鼻が悪いのだろう。恐らく大家さんも。

人事異動

課長が、私の係から異動する係員の後任を提案してきた。候補は2人いて、1人は25歳、もう1人は35歳。

 

課長は25歳を推してきた。理由は、前課で4年、前々課で3年働いており、キャリアが安定しているという理由からである。

 

一方、35歳の方は、前課を1年、前々課を2年で異動しており、訳ありなのではないかという理由で、難色を示していた。

 

要するに、情報がこれだけしかない。異動した理由は不明。なぜこんなに情報が少ないかという説明は省く。

 

私は、35歳が、前々課で、今の業務と似たような業務をしていたと、人づてに聞いていたので、35歳を推した。

 

課長は言う。「でも、異動期間短いよ?何が問題あるんじゃない?」私は「でも25歳は若いかなあと・・・。」

 

冷静になって見ると、ほとんど情報がない中で、2人で話し合う事の何と不毛な事か。

 

結局私は、「私としては、こちらの方(35歳)がいいと思います。」と伝えて、終わった。

 

それからしばらくして、偶然、上記の25歳の人の噂を人づてに聞いた。何でも問題児らしい。

 

私はホッと胸をなで下ろすと共に、全くバカげた人事異動の話し合いをしていたなあと思った。

『居るのはつらいよ』刊行記念東畑開人トークイベントに行く

東畑開人先生の『居るのはつらいよ』、まだ読み始めたばかりなんですけど、「これは面白くなりそうだ!」と感じたので、お勧めです。『野の医者は笑う』は傑作です。

 

さて、東畑開人先生の、『居るのはつらいよ』刊行記念トークイベントが沖縄にあるジュンク堂那覇店であったので行ってきた。

 

生で見る東畑先生はハンサムで、シンプルなTシャツ、パンツ、スニーカーが似合っており若々しかった。恋愛ドラマの、主人公の2番目の友達に抜擢されるレベルだ。

 

壇上の東畑先生と文化人類学者の砂川氏の前に、飲み物が置かれた。プラスチックのカップに、ストローが刺さっている。中身はアイスティーだろうか。カップは、イベントを開催している建物内にある、イタリアントマトカフェジュニアのもののようだ。

 

しかし、トークをするのにアイスティーで大丈夫だろうか。音楽イベントでスタッフをしていた時、ステージにさんぴん茶を置いたらとても嫌がられた。しかし今日は歌を歌うわけじゃないからいいのだろうか。

 

東畑先生はハイペースでアイスティーを飲む。そんなに喉が乾いているのか。それともそんなに美味しいのだろうか。飲み干してしまったらスタッフはお代わりをくれるのか。

 

イベント開始から50分くらいで底を尽きかける。スタッフよ、お代わりを出してくれ・・・!祈りは届かない。辺りを見渡すと、ジュンク堂のスタッフが立っている。気づけよ!私はただの客なので、指示するわけにもいかない。このイベントの主催はジュンク堂で、イタリアントマトカフェジュニアではないから、アイスティーはタダではなく、ということは、アイスティーは数百円するわけで、その数百円が惜しいのだろうか?だったら100円のミネラルウォーターで良かったのに!(勝手な妄想ですが。)

 

イベントは1時間を少し過ぎて終了した。東畑先生のカップはほぼ空で、砂川氏のカップはほとんど残っていた。

 

今度、東畑先生がジュンク堂那覇店でトークイベントをする時は、ペットボトルのミネラルウォーターか、アイスティーのLサイズにしてあげて欲しい。

はじめてのおつかい

午後7時、帰宅すると、妻が「長女(6)が『ひとりで買い物行きたい。』って言うねんけど。」と言った。

 

「行かせたらいいじゃん。」

「えー!車に轢かれて死んだらどうするん!」

 

大げさな。長女は今度の4月で小学生だ。はじめてのおつかい、遅いくらいだ。ビビりな性格で、自分から何かをしたいとほとんど言わない。「ひとりでおつかいに行きたい。」なんて、珍しいと思った。このタイミングで行かせなければ、今度はいつ、自分から何かをしたいと言うか分からない。

 

私は長女に「行ったらいいよ。」と言った。長女は妻に「行っていいって!」と言う。

 

「じゃあお休みの日にね。」

「いいじゃん、今行かせたら。」

 

このモチベーションを失ったらどうする。

 

「もう夜だよ?児童虐待じゃない?」

「ここは沖縄だよ?近くのコンビニなら大丈夫だろ。」

 

近くのコンビニは、家のベランダから中が見えるくらい近い。家とコンビニは片側2車線の道路が横たわっており、それが妻には心配なようだったが、道路が大きい分、歩道も大きく、押しボタン式信号機のある横断歩道を渡りさえすれば安全なはずだ。

 

アパートの敷地から大通りまでの細い道、家のベランダから死角になっている歩道、コンビニの駐車場等、不安な場所もあると言えばあるが、さすがに心配し過ぎだろうと思い直す。

 

私は長女に小銭入れを渡し、「行ってくればいいさ。」と言った。

 

すると次女(3)が「次女もいく!」と騒ぎ出した。

 

さすがに3歳は心配だが、長女と手を繋いで行けば、長女も安心かも知れない。

 

それから長女は、小銭入れを見て、「どれを出せばいいの?何を買えばいいの?」と言った。

 

これには少し焦った。長女はお金が数えられないのか・・・。

 

私が幼稚園児の頃は、駄菓子屋でちょくちょく十円単位でお菓子を買ったものだ。だからお金は数えられた。(千円未満だっただろうが。)

 

ひとりでお買い物に行かせないものだから、ひとりでレジに行かせないものだから、お金が数えられない。甘やかし過ぎた・・・。

 

「とりあえず、お菓子ひとり1個買って、小銭入れをお店の人に見せなさい。」と言った。

 

長女と次女は、手を繋いで家を出て行った。

 

それから数メートル離れて、2人を追う影があった。妻である。

『ヒストリア』(池上永一)を読む

『宝島』(真藤順丈)が面白かったので、『ヒストリア』(池上永一)を買った。この小説も、戦後の沖縄が舞台だ。(と思ったが、早々に舞台がボリビアに移ってしまった。)

 

この小説も、面白い。私が沖縄に住んでいるので、沖縄加点はあるにしろ。『宝島』と一緒に買った『入れ子の水は月に轢かれ』(オーガニックゆうき)も戦後沖縄が舞台で、読み始めは「面白い!」と思ったものの、読んでてだれてきた。

 

入れ子〜』に比べると、『ヒストリア』が小説として相当すごいと感じる。普段小説を読まない私でも分かる。(『ヒストリア』だけ読んだら、「こんなものかなあ。」と思っていたかもしれない。)

 

『宝島』と『ヒストリア』を比較すると、『ヒストリア』が好きかも、と思うが、『宝島』も悪くない。

 

ただ、『ヒストリア』を読んで、沖縄方言や沖縄訛りをほとんど使わなくても、沖縄を舞台にした小説が書ける事が分かったので、小説家の皆さんは池上永一を見習って欲しい。

 

池上永一は沖縄出身らしいが、小説の中の食事のメニューだけでも、沖縄出身か(あるいは沖縄住みか)そうでないかが分かる。(『宝島』は、沖縄方言や沖縄訛りもそうだが、食事のメニューだけでも、首をひねらざるをえなかった。)

 

沖縄住みとして『宝島』を上から目線で見てしまったが、面白かったです。

『入れ子の水は月に轢かれ』を読む

『宝島』に続いて、『入れ子の水は月に轢かれ』(オーガニックゆうき)を読む。これも沖縄が舞台の小説。

 

特に、国際通り周辺の商店街、川が舞台となっている。

 

私は大学生の頃、演劇グループ(大学生もそうじゃない人もいたので、グループと表記した。劇団とはイメージが違う。)に入っていて、スタッフをやっていた。そこで、『街』をテーマにした公演を、国際通りでした事がある。グループのスタッフと国際通り周辺を、何週間も何度もウロウロした。夜から朝まで。(何をしていたのだろう?)

 

「この小説の様な公演ができたら良かったのになあ。」と、思った。

 

まあ、当時、私が脚本を書いたわけじゃないし。でも、こんな物語は、1ミリも想像しなかった。

 

やっぱりディキヤーは違うね。

 

2/18追記

読むのだれてきた。