パクチーを食べる仕事
今日の夕食は生春巻きだった。
自分で作る形式。
具、一覧の中にパクチーがあった。
私は食べない。
妻が好きだ。
くさいので遠ざける。
石けんを食ってるみたいだ。
パクチーを食べるという仕事があったとして。
私はツラい思いをしながら食べるだろう。
「お金のためだ」とか言って。
でも、お金を払ってでもパクチーを食べたい人もいるかもしれない。
私が苦手な仕事を全部好きな人にやって欲しい。
でも私の仕事がなくなったらお金がなくなる。
それに仕事は包括的なものだ。
パクチーを好きな人と嫌いな人の違いは。
私はパクチーを好きになれるのだろうか?
そうなるには相当の努力が必要では?
そしてその努力をする意味はあるのだろうか?
単に夕食にパクチーを食べるかどうかなら、食べなければよい。
しかしそれが仕事なら。
人の感覚の違い。
それは運なのだろうか?
一生パクチーに翻弄されて生きるのだろうか?