頼ること
ライカム(イオンモール沖縄ライカム)の帰り、高速を使って40分ぐらいなのだけれど、少し疲れていたので、妻に運転を代わって欲しいと頼んだ。
妻は「珍しい。」と言って、「でもうれしい、頼ってくれて。」と言った。
「ゆーきーって、疲れてても運転するじゃない?何で?『運転は男がするものだ。』って信念があるの?それとも私に運転は任せられない?」
別に私は運転が好きではないから、妻が毎回運転してくれるならそうして欲しい。でもそういうことではないのだろう。たまに頼ってくれたからうれしいのだろう。
『男が』というより、今までの流れで『運転は私の担当」みたいになっているので、運転している。
『料理は妻の担当』みたいになっている。
それよりも、『なぜ疲れていても妻に頼まないのか。』というより問題なのだが、全く頼まないわけではないけれど、結構疲れていても頼まない。
考えてみると、疲れていると、頭も回らなくなるし、口も動かなくなる。
『頼むこと』自体が億劫になるのだ。
『頼むこと』は、相手に頼んでいいか推測しなければないから頭を使うし、断られるとショックだ。
もちろん、運転できないくらい疲れていたら頼むけれど、『運転できるか、できないか。』の二択で考えると『できる。』から、運転する。
まあ、元々人にモノを頼むのが苦手であるから、頼むことのハードルは高いというのはある。
今回は、運転できないぐらい疲れていたわけではないけれど、「頼んでも大丈夫かも。」と推測できるくらい余裕があったので、頼んだ。「ちょっとムリ。」と言われても受け止められるぐらい余裕があった。
運転1つだけなら話はシンプルなのだけど、家事はたくさんある。
ちょっと疲れたからといって何でもかんでも相手に頼んでいいのかというと、そうすると相手が疲れてしまう。
『頼むこと』は難しいことである。