理想の親
妻が、「人の命は重い。なのに子どもを捨てる親はおかしい。」みたいな記事を読んだようで、それから派生して、「子どもへの責任は、-親の-どこまであるのか不安だ。」というようなことを言った。
死なせなければ合格なのか。
他人に迷惑をかけないように躾ければ合格なのか。
大学まで出してやれば合格なのか。
立派な社会人になれば合格なのか。
分からないけれど、理想を追い求めると切りがない気がする。
土曜日に娘たちの運動会があったのだけれど、たくさんのビデオカメラが並んでいた。
私はiPhoneで画像や短いビデオをとっていたのだが、ビデオカメラは必要なのだろうか?
撮っても、観る時間がなくないか?
そもそも観るか?
そこでふと思った。
ビデオカメラで撮ってる親は、観るから撮るんだよな?
観るということは、観たいわけだ。
1度以上は。
ということは、観たいくらい楽しいんだな?運動会が。
そういう気づきがあったので、妻に聞いた。
「世の親御さんたちは、運動会が楽しいの?」
「えっ、ゆーきーは、楽しくないの?」
「・・・。」
ここで楽しくないと言うと、子どもが嫌いみたいではないか。
しかし、運動会、体育館だったにもかかわらず暑いし、床に座ると腰は痛いし、他人の子のプログラムなんて全く面白くないし、マイナスな要素が多過ぎる。
妻は言った。「楽しくないのね。」
「・・・。」
「おじいちゃんおばあちゃん(私の両親)来てくれたけど、来たくて来てるのか、義理で来てるのか分からないなーって思ってたけど、子どもたちのお父さんの方が、義務感で行ってたとは・・・。」
「ゆーきーは一生独身でも平気?」
話が飛躍した!
「いやーそんなことないよ。」
「子どもに興味がないなら、奥さんにだって興味がないのかなって。」
それは飛躍し過ぎだろう。
運動会が楽しくないとそれとでは。
しかし正直なところ、妻に比べれば、子ども好き度は低いかもしれない。
妻が言う。「結婚する前、お義母さんが「ゆーきーは子ども好きだからねー。」と言ってたのは何だったんだろう。」
妻の母、お義母さんも「ゆーきーさんは子ども好きじゃなさそうね。」と言っていたらしい。
確かに休日、子どもたちが遊んでいるそばでスマホをいじってばかりいたら、そう思うだろう。
何かこの、冷たい人間的な、自己中心的なそんな感じだろうか私は。
全部自分一人でやってるわけじゃなくて、妻の方が多いけれど、保育園に行く準備をして、子どもたちをお風呂に入れたり、会社が代わる前は送迎もして、そういうことを、ちゃんとしているつもりだけれど、それは『理想の親』からすれば、「義務でやってるわけよね?」ってなるかもしれない。
「偽善だね。」みたいな。
「やってても心はこもってないわけでしょ。」みたいな。だから、『理想の親』と比べてしまうと、やることをある程度やってたと、やってたつもりだとしても、『気持ち』すら採点されてしまうわけです。
無償の愛とか何とか。
だから切りがないなーと。