ゆーきーブログ(仮)

ゆーきーのブログ(仮)

不安か愛か

倉園佳三さんの記事を最近読んでいる。「不安や恐怖ではなく愛を選びなさい。」という主旨の記事があった。

 

夕御飯を食べた後、子供達に「シャワー浴びるよ。」と言う。6歳の長女が「ママがいい!」と言って妻のところへ駆けて行った。

 

ここで愛を選ぶとすれば、長女が妻にシャワーを浴びさせてもらうことがそれか。

 

妻が「パパとシャワー浴びなさい。」と言う。妻に恨まれるのが嫌で長女を抱えて風呂場へ連れて行く。私は不安を選んだ。

 

泣く長女の服を脱がせる。必死に抵抗する長女。虐待と言っても過言ではない。私は愛を選ぶのではなかったか?長女を風呂場から解放する。私は愛を選んだ。

 

裸で泣きながら妻のところへ駆けて込んだ長女だったが、妻に抱えられて風呂場に戻ってきた。長女はまだ泣いている。

 

泣く長女を突き放したのは妻だ。私ではない。私は被害者だ。そういうメンタリティに切り替わる。私は不安を選んだ。

 

泣き叫ぶ長女の頭を叩き、無理矢理シャワーを浴びせる。

 

こうやって、無理矢理子供にシャワーを浴びせることで、育児をしているつもりだが、本当は、子供達に嫌われることで、育児を逃れようとしているのだろうか私は?「私は育児をするつもりはあるが、子供が悪いんです。」と。被害者を演じているのだろうか?

 

これはこれで深層心理に迫っているような気もするが、そんな簡単に自分の心を言語化できるものなのか?という疑問も湧く。時々行動と発言がチグハグな人間を見てそう思う。