ゆーきーブログ(仮)

ゆーきーのブログ(仮)

一年に一度のことは記録をしよう

【副事務局長的な人とのやりとり】
運動会のアナウンス係を頼まれた。
運動会の副事務局長的な人に。
2年前に一度やったのだけれど、レクチャーがろくにないのに業務内容が複雑だった。
しかも事務局長的な人に怒鳴られたりして、とても嫌だった。
頼んできた副事務局長的な人にそれを言い、「アナウンス係に慣れてる人はいるの?」と聞いたら「みんな初めてで。」と言う。
「いやいやいや、めっちゃ大変だよ。」と言ったのだけれど、「係員を1人増やしたからお願い。」と言う。
「ノー。」と言えない社会人。


【前日】
運動会の前日になっても、アナウンス係長的な人から連絡がない。
こちらから電話をする。
電話を取った人が「運動会の準備に出ています。」
当日にレクチャーする気か。


【当日】
当日、係長的な人が「ゆーきーさん、ベテランなんですよね?よろしくお願いします!」と言った。
「いやいや、2年前に1回やったきりなんだって!」
「ええ?!そうなんですか?!」
アイツ(副事務局長的な人)は何も言ってないのか・・・。
そして、マニュアル的な、マニュアルとも呼べない紙きれを渡され、レクチャーは3分で終わった。
「臨機応変に。」と係長的な人は言ったのだけれど、臨機応変というのは、マニュアルが細かく決まってるからこそできることだろうが!
これでは2年前の二の舞だ。


Evernote
慌ててiPhoneEvernoteで検索する。
2年前の運動会のメモを。
あのときの不満をメモしておいたはずだ。
あった。
忘れていたことも書いてある。
「もっと細かく書けよ。」と思うところもあった。
しかしとりあえず、メモを読み、不満、不安なところを係長的な人に聞く。
「あーどうなんでしょうねえ?」と不安な回答。
「確認しておいて!」
私の責任にされたら困る。
ボランティアなのに。
いくつかの不満、不安は、それが起こる前に確認することができた。

 

【まとめ】
記録しておいて良かった。
できればもっと細かく記録しておけば良かった。

一年に一度しかないことなんて、たまにしかないことだし、記録する気になれないが、1年に1度のことこそ細かく記録すべきである。

それは忘れているから。

 

あと2日以上前に記録を確認すれば良かった。
てかボランティアなのに何でこんなめんどうなことをしないといけないのか。
そう思っても他人は変わらないし、私は「ノー。」と言えない。

huluで『パーソン・オブ・インタレスト 犯罪予知ユニット』シーズン3が配信されていた

何となくhuluで『パーソン・オブ・インタレスト 犯罪予知ユニット』を検索したら、シーズン3が配信されていた。

いつの間に。

何か月も前だけれど、シーズン2が配信され、気づいたら終了してしまい、モヤモヤしていた。

何なのあの不規則な配信は。

『パーソンry』は好きだけれど、1話ごとにお金を出すほどではない。

アメリカでは、シーズン5が放送されているらしいですね。

また、『パーソンry』を観る時間も問題だ。

夜観ようとすると、長女が「テレビ観たーい。」と言い出す。

「お父さんが観てるから。」と言うこともあるが、長いと「まだ終わらないのー?」と執拗に言ってきたり、オモチャで遊ぼうと言ってきたりする。

集中できない。

今は仕方なく、お昼休みに家へ帰り、ごはんを食べながら30分ほど観て、夜に残り15分を観る。

 

オススメなので観てください。

Hulu

セミナーテンション

セミナーに参加すると、テンション、モチベーション、やる気が上がる。
そのテンションで、何かをやろうとする。
今なら何だってできそうだ。
空も飛べるはず
しかしそのテンションは数日で下がる。
挫折。
まるでイカロス。
いや、羽根を完成させる前に挫折。
(空から堕ちなくて良かったと言えなくもない。)
しかし再びあのテンションを求めてセミナーへ。
セミナーが数千円ならいいのだけれと、数十万円のものもザラである。
数十万円のセミナーに参加したところで、手に入るのは数日のテンションだけである。
本当に必要なものは、時間をかけた行動でしか手に入らない。
私はセミナーを否定しているのではない。
我々はセミナーにあまりに期待し過ぎるのだ。
セミナーにいくら払おうが、手に入るのはテンションぐらいだと思うのでちょうどいい。
今まで少なからぬセミナーにお金を払ってきてそう思う。

妻が『シン・ゴジラ』を観に行った

今、寝室なのだけれど、次女が泣いている。
なぜ泣いているのかというと、妻がいないからだ。
妻はどこに行ったのかというと、『シン・ゴジラ』を観に行った。


私は少し前に仕事を休んで観に行ったのだけれど、妻に「自分だけ!」みたいなことを言われて忍びなかった。
シン・ゴジラ』が面白かったのでパンフレットやムックを読んだり、過去のゴジラを観たり、庵野秀明が関わった『ふしぎの海のナディア』や『トップをねらえ!』を観たりすると妻に「そんなに面白かったのね!」と皮肉っぽく言われるのだった。


私は「観に行ったらいいじゃん。」と言うのだが、妻は「でも次女が。」と言う。
「まあ、そんな行きたくないならいいけど。」
「行きたいんだけど、次女のことを考えると、胃がキューッとなるわけ。」
「まあ、無理に行かなくても。」
「次女もそろそろ保育園入る時期だし、離れる練習も必要だし、もし行かなかったとしたら、『行きたかったなー。』と思うだろうし。」
頭では行きたいのだけれど、肉体が拒絶するということか。


木曜日になって、再度「映画行きたい?行きたかったら行ったら?」と言ったのは、私が土曜日にライフハックセミナーに参加する予定で、それで半日は家を空けるからであった。


次女が泣くのであやしていたのだけれど、泣き止まないので、あきらめてこれを書いている。

「字、下手だね。」

時折、妻が「字、ゆーきーが書いてよ。私はどうせ下手だから。」と言う。
以前、私が妻に「字、下手だね。」と言ったことを根に持っているらしい。
しかし私は、いつ、どこで言ったのか思い出せない。


ことほどさように、加害者と被害者は記憶に差がある。
何年も根に持たれるなら言わなければ良かった。
なぜ言ったのか。
大した発言ではないと思ったのだろうか。
しかし、私がこの過ちを犯したのは初めてではない。


大学時代、卒業間近のことである。
同級生の女性が、私に向かって「どうせ私は字が下手だから。」と言った。
以前、私がその女性に「字、下手だね。」と言ったことを根に持っているらしい。
しかし私は、いつ、どこで言ったのか思い出せない。
それには驚いた。


なぜ再犯を犯したのか。
バカである。
妻にも、その女性にも申し訳なく思っている。
だから今後、他人の字を見て「字、下手だな。」と思っても、「字、下手だね。」と言わないようにしようと思う。


言う言わない以前に、「字、下手だな。」と思わなければいいのだけれど、
なぜ思ってしまうのかというと、私が字にコンプレックスがあるからだ。
字が上手く書けない。
他人に見せたら「下手じゃないじゃん。」と言われるかもしれない。
いや、上手い下手ではなく、自分の字が嫌いなのだ。
それで、他人の字も意識してしまう。
自分の学歴を過剰に意識する学歴厨のようなものか。

音声コンテンツを聴くのは難しい

音声コンテンツを聴きたいのだけれど、なかなか難しい。
難しい理由。
通勤時間が短い。
車で10分ぐらい。(!)
10分もある、と言えなくもない。
言えなくもないけど、Clipboxを使うと、一時停止しても、しばらくすると、一時停止が消えている。
一時停止したところを自力で探さないといけない。
めんどくさい。
10分ぐらいだったら何もせずに移動した方がマシだ。


家で聴くのも難しい。
家族がいるのにイヤホンをするのはレベル高過ぎる。
家族全員が聴くようなコンテンツでもない。
それに比べてスマホでのネットサーフィンや読書が家族がいても可能なのは不思議だ。
音声は自動で進むのに比べて、文字は自動で進まないからであろう。

書くこと

「書くだけならいくらでも書ける。」というセリフを聞いた。
「すごいなー、オレは、ブログにすら書きたいことがないな。」と思った。


でも、ブログに書きたいことはほとんどなくても、
ツイッターに書くことはあるし、
増田(はてな匿名ダイアリー)に書くこともある。
ツイッターは、短かければ書けるということであるし、
増田は、批判を回避することができれば書けるということである。
書くというハードルを下げれば私でも書けるということか。
まあ、頑張って書く理由もないのだが。


一番書けないのは、長女の保育園の連絡ノートだ。
無理やり書くけど。
先生に連絡することがない。
また、書けないこともある。
ずっとユーチューブを観ていることは書けない。
長女が寝るときに「パンツ履きたい。」と言ったけど、毎朝オムツが濡れているのでオムツを履かせていることは書けない。
保育園の子が、もうすぐ1歳の次女の頬をつねって泣かせたことは書けない。


よく朝イチで頭を抱える。
作家先生になったような気分だ。