ゆーきーブログ(仮)

ゆーきーのブログ(仮)

ドラマ『カルテット』を観た

ドラマ『カルテット』を観た。
ちょっと前に、妻が「『カルテット』面白いらしいよ。」と言った。
能町みね子も面白いって。」
能町みね子
能町みね子が今まで何を面白いと言ってきたか知らないが、平凡なドラマに面白いとは言わないに違いない。
ドラマの評価に能町みね子を出す妻。
土日に1〜2話を観る。
面白い。
面白いが・・・
その時にはすでに7話まで放送されていた。
あと5話。
約5時間。
家事育児のすき間時間。
貴重な時間を、ドラマに費やして良いのだろうか?
躊躇。

 

さて、平日になるのだが、ちょっと好きな女性の先輩が、ちょっと好きというと誤解を招くな、まあ、好印象の先輩が、なぜ好印象かというと、挨拶をしてくれるからなのです。
駐車場から職場まで数百メートル離れているのだけれど、私は歩くのが遅いらしく、みんなが追い抜いて行くのである。
後から来たのに追い越され。
その先輩も追い抜くのだけれど、挨拶をしてくれるのだ。
「ゆーきーおはよー。」
ああ、良い先輩だなあ、と思う。
帰りも追い越される。
「ゆーきーお疲れー。」
その先輩が、追い抜いた後、振り返って言った。
「『カルテット』観てる?」
「あ、観ました。」
2話まで。
「ゆーきーって失踪した旦那さんに似てるね。」
2話まで、失踪した旦那さんは出てこない。
ドラマ風に言えば、『失踪した夫さん』
夫さんてオットセイみたいだ。

私はドラマの続きを観ようと思った。

家事育児のすき間時間に。
そして5話のラスト、ついに失踪した夫さん、真紀さんの夫さんが登場!

 

クドカンやないけー!
オレはクドカンに似てるのか?!
クドカンと言えば、脚本は書くし、役者はやるし、バンドもやる、一流のエンターテイナーである。
似てるなんて恐れ多い。
いやでも待て。
クドカンに似てるね。」とは言われていない。
「失踪した旦那さんに似てるね。」と言われたのだ。
それはつまり、クドカンの演じる役、『巻さん』に似てるということだろう。
巻さんというのは乱暴に要約すると、妻に飽きて失踪する男である。
あと声が小さい。
オレも声が小さい。
それは似てる。
しかし失踪はしない!
多分。
巻さんは妻に飽きるけど、浮気はしない。
それも似てる。
いやいや似てない。
オレは妻に飽きない。
巻さんと真紀さんは、価値観が合わなかった。
巻さんの好きな詩集や映画を真紀さんは面白いと思えなかった。
真紀さんのおしゃべりを巻さんは面白いと思えなかった。
ドラマの評価に能町みね子を出す妻は、価値観が合うと思う。
しかし妻はまだ『カルテット』を観ていない。

 

ブレーカーが落ちる

主幹用漏電ブレーカーというのが落ちた。
洗濯機と食洗機が動いていた。
ここ2〜3週間で2〜3回目。
それまではなかった。
漏電だったら怖いと思い、沖電に電話。
「配線か、家電が悪いかもしれません。」
「どうしたらいいんでしょう。」
「電気屋さんに見てもらうとか。」
「紹介してもらえるんでしょうか。」
「アパートなんですよね?大家さんに連絡してみては。」
不動産屋さんに電話。
「別のコンセントを使ってみてください。使い過ぎかもしれません。」
「使い過ぎだと主幹用ブレーカーが落ちるんですか?安全ブレーカーじゃなくて?」
「そうですよね。でも、洗濯機と食洗機、一つずつ使うと落ちないんですよね?」
「はい。」
「そうであれば、漏電ではないと思います。」
「そうですか。」
「とりあえず、別のコンセントを使ってみてください。」
うーん、両方使ってすぐ落ちるなら分かりやすいけれど、洗濯機の乾燥機能が強くなったときに落ちる気がしたので、分かりにくい。

お腹を壊すのには原因がある。

午前3時、お腹が痛くて目が覚めた。

下痢。

 

結婚してから、妻が、「お腹壊しちゃった。ゆーきーは大丈夫?何が悪かったんだろう?」と言うのを聞いて、驚いた。

お腹を壊すのには原因があるらしい。

主に食べ物。

私はそんな風に考えたことがなかった。

私はちょくちょくお腹を壊すのだけれど、それは、体調の良い日もあれば悪い日もあるように、バイオリズムぐらいに考えていた。

トイレも、まあ、酷い風邪を除けば、1度行けば治ってしまうし。

忘れてしまう。

 

私は考えた。

直近で、家族が食べておらず、私が食べたもの。

夕食後に、食パンを食べたのだけど、それにシロップをかけた。

常温で置いていた、いつ買ったのか分からないヤツ。

捨てた。

『ママがいい。』

最近、妻の帰りが遅い。(小町ではありません。)

私は2人の子ども達を保育園にお迎えに行き、シャワーに入れ、夕ごはんを与え、洗濯物をたたむのだけれど、夜9時頃になると、子ども達が泣きだす。

次女(1)はしゃべれないので泣くだけなのだが、長女(4)は「マーマー!」と泣く。

「マーマーがいいー!マーマーがいいー!」と泣くのだ。

ちょっと待て。

聞き捨てならない。

『がいい。』とは何だ。

ママが恋しいのは分かる。

しかし『がいい。』とは何だ。

その前に『パパよりも』というのが含まれているのか。

家族4人で1つ、マルだとしたら、ママが欠けて、3/4のマル、それはさびしい、というのなら分かる。

しかし「ママがいい。」というのは、AよりもBがいい、パパよりもママがいい、みたいではないか。

実際そうなのだろう。

しかし、しかしだよ、仕事終わって、保育園にむかに行って、シャワー入れて、夕ごはん与えて、お前らの洗濯物たたんで、保育園の準備して、コンビニにお菓子買いに行って、それで「ママがいい。」かよふざけんな。

「パパも好きだけどママも好きだからいなくてさびしいー、やっぱり4人で1つの家族だよねー、パパーいつもありがとうー。」ぐらい言いながら泣けないのか。

言っても伝わらないと思うのでネットでグチる。

残った大皿料理を片付けるのは許されない

披露宴に出席した。

円卓の中華テーブルの大皿料理だった。

大皿の中が1/4ぐらいになったので、取り皿に移し、中華テーブルに戻した。

隣の先輩が「気が利くね。」と言った。

本当は、ホテルの人がやって欲しい。

やるかもしれない。

しかし、やらないかもしれない。

大皿にまだ残ってるのに、片付けるホテルの人がいる。

まだ残ってるだろ!

「あ、食べるんで。」と言えばいいのかもしれない。

けど、恥ずかしい。

私はすでに、食べているから。

自分の分が1だとすれば、1.2〜1.3は食べている。

1テーブルに今日は11人座っていたが、1食べない人もいるのだ。

いや、ちゃんと様子は見てますよ?

「ずっと残ってるな。」って。

時間を見計らってます。

だから、ちゃんと食べてるから、片付けるホテルの人に「あ、食べるんで。」と言い切れない。

黙って片付けるホテルの人はダメだけど、「お召し上がりになりますか?」と近くの人にだけ聞いて片付けるのもいる。

これもダメ。

オレに聞けよ!

全員に聞けよ!

「お召し上がりになりますか?」

「いいです。」

「あ、僕食べます!」

と言い切れない。

だから率先して、大皿に残っている料理を取り皿に移しているのだ。

あと、大皿料理なのに、1人1個の料理とかあるじゃないですか。

ステーキとか。

今日、欠席が1人いて、1枚余ってたんですよ、ステーキが。

大皿に。

そしたらホテルの人が「まだ召し上がられてない方?」とか言うんですよ。

だから「欠席がいるんで、取り皿に移してください。」って言ったんですよ。

そして、取り皿に移したステーキが、中華テーブルに残った。

いや、もうお腹いっぱいだったからね、私が食べなくてもいいんですよ。

他の人が食べても。

しかし、片付けるのだけは許されない。

そしたらしばらくしてホテルの人が来てね、ステーキ指して「まだ召し上がられてない方?」って言うんですよ。

何でだよ。

置いとけよ。

私は「はい!」と言ったね。

挙手した。

食べたよ、ステーキを。

大して美味しくなかったけどさ。

硬くて。

しかし片付けるのだけは許されない。

余興?

挨拶?

それどころじゃないよこっちは。

車検が切れていた

昨日、車に乗ったら、車検が切れていました。

「車検の有効期限を確認しよう。」と思ったきっかけは思い出せません。

しかし昨日、「確認しよう。」という気になったのです。

焦りました。

自動車整備をしている人に電話をしたら、「年末年始は陸運も開いてないし、代車もない。」とのこと。

年末年始は妻の車を利用しようと思います。

2年前は車検のお知らせハガキが来ていました。

4年前に車検に出したところから。

しかし別のところに出したので、ハガキが来ていたところからはもう来なくなったのです。

車検に出した別のところは、ハガキを出すようなところではないようです。

電話した人のところなのですが。

 

このことを妻に話すと、話すまで忘れていたのですが、妻も今年車検で、車検が切れてから車検切れに気づいたのです。

こんなことを聞くとダメな夫婦と思われるでしょうね。

ダメです。

警察に捕まると免許証取り上げられるらしい。

車検切れを防ぐには、お知らせハガキを送ってくれるようなところに出すか、リマインダーを設定するか、でしょう。

しかしこのように、忘れていることに気づかないことというのは他にもあるかもしれません。

サンタの存在をどう伝えるか

もうすぐクリスマス。

妻が長女(3)の前で「もしもしー、サンタさーん?クリスマスにー、プリキュアのお菓子をお願いしますー」とやった。

私は黙って聞いていたが、思い返してみて、良くないのではないかと思った。

 

私はできれば、『子どもの欲しいものを聞いて、サンタがそれを持って来る』ということをしたくない。

なぜか。

それは、子どもがサンタはウソだったと知ったとき、気まずいだろうと思うから。

 

ちなみに私は、サンタがウソだったと知ったときの記憶はない。

あまりのショックで記憶が飛んだのだろうか?

 

また、子どもが少し知恵がついてくると、欲しいものを親に隠して、サンタに直接伝えたがると聞いたこともある。

めんどくさい。

 

だからと言って、「サンタなんていないんだよ」とは言えない。

お友達と話が合わないのはかわいそうだ。

 

欲しいものを買ってあげるのはかまわない。

ただ、子どもをダマすことが、楽しいことだとは思えない。

結局バレてしまうのだ。

 

 毎年こんなことを考えてる気がする。

子どもがいない頃から。