ゆーきーブログ(仮)

ゆーきーのブログ(仮)

台湾のいいホテルで洗濯をどうするか

台北のホテルに泊まっているのですが、コインランドリーがありません。いいホテルだからであろう。

 

さて、洗濯をどうするか。ホテルの洗濯サービスを頼むと、スポーツシャツ1枚だけで250元するようだ。約1,000円。アイロンなどは別料金。高っ。今着てるユニクロのポロシャツもそれぐらいだったぞ。

 

まあ、ホテル的には「これくらい払えないならコインランドリーあるホテル泊まれ。」ということなんだろうけど、前回、台湾に来たときも、コインランドリーのない、いいホテルに泊まって、近くのコインランドリーに通っていた、私が。


さて、今回は、ホテルのコンシェルジュに「外の洗濯屋に頼んでくれ。」と頼むという裏ワザを行なった、妻が。すごい。その発想はなかった。いいホテルのサービスを使って、いいホテルは儲からない。損はしてないけど。やっぱ「これくらい払えないならコインランドリーあるホテル泊まれ。」と思うだろうか?


でもたまには泊まりたいよねー、いいホテル。
結局、外の洗濯屋は、全部で300元(約1,200円)だった。家族4人の1日分の洗濯物です。ホテルはスポーツシャツ1枚だけで250元(約1,000円)なのに。

台湾的に誤差はいくらか

台北に来た。
タクシーあるじゃないですか。台湾は初乗り70元、約280円なので気軽に乗れます。


前回台湾に来たとき、地味にカルチャーショックを受けたことがあって、タクシーに乗ったら、料金に端数があったんですね。で、小銭を探してたんですよ。財布から。それがいくらだったか忘れましたけど。


そしたら運転手が「いいよ、いいよ。」って言うんですよ。驚きません?数円ではないと思う。数百円てほど高くはない。百円以下だったかなあ・・・まあ、仮に数十円としましょう。日本で数十円、タクシーの運転手がまけてくれます?まあ、何千円も乗ったらまけてくれるかも知れない。でも初乗り280円ですよ。多分そのとき何千円分も乗らなかった。千円前後だったかなあ。千円前後の数十円て、結構な割合じゃないですか?


「えっ、でも・・・。」「いいよいいよ。」みたいになって。ちょっと悪いなあと思って。客が「釣りはいいです。」みたいなことはあると思うんですけど。


いや、台湾カルチャー的に、数十円は誤差だっていうならいいんですけど、いくらからが誤差なのか気になる。
30円は誤差なのか?50円は?あー気になる。


だから今回は、私達が多めに払うようにしようと思った。


最初に乗ったタクシー。95元まで上がった。100元以上に上がったら小銭を出すのが面倒だ。しかし、95元で目的地に到着。100元札を出す。さっとタクシーを降りると、運転手はお釣りを出すそぶりもない。


よし!!!
台湾カルチャーに馴染んだぞ!
5元は誤差だ!(約20円)


次に乗ったタクシー。75元で目的地に到着。100元札を出す。お釣りは25元。約100円。これは誤差とは言いがたいだろう。日本でだって缶ジュースが買える。(買えない。)


運転手はお釣りを出そうとした。私はそれを制し、「センキューセンキュー。」と言った。すると運転手は「謝々。」と言った。


うーん、まあ、私のこの行為は間違いではないんだろうけど、日本でも「釣りはいいです。」ということあるからなあ。台湾カルチャーではない気がする。


やっぱり、台湾カルチャーに馴染んだと言えるのは、運転手に誤差をまけてもらって、罪悪感を味わわなくなってからか?
いや、そもそも他のタクシー運転手も、誤差をまけてくれるのだろうか?

頼ること

ライカム(イオンモール沖縄ライカム)の帰り、高速を使って40分ぐらいなのだけれど、少し疲れていたので、妻に運転を代わって欲しいと頼んだ。


妻は「珍しい。」と言って、「でもうれしい、頼ってくれて。」と言った。


「ゆーきーって、疲れてても運転するじゃない?何で?『運転は男がするものだ。』って信念があるの?それとも私に運転は任せられない?」


別に私は運転が好きではないから、妻が毎回運転してくれるならそうして欲しい。でもそういうことではないのだろう。たまに頼ってくれたからうれしいのだろう。


『男が』というより、今までの流れで『運転は私の担当」みたいになっているので、運転している。
『料理は妻の担当』みたいになっている。


それよりも、『なぜ疲れていても妻に頼まないのか。』というより問題なのだが、全く頼まないわけではないけれど、結構疲れていても頼まない。


考えてみると、疲れていると、頭も回らなくなるし、口も動かなくなる。
『頼むこと』自体が億劫になるのだ。


『頼むこと』は、相手に頼んでいいか推測しなければないから頭を使うし、断られるとショックだ。


もちろん、運転できないくらい疲れていたら頼むけれど、『運転できるか、できないか。』の二択で考えると『できる。』から、運転する。


まあ、元々人にモノを頼むのが苦手であるから、頼むことのハードルは高いというのはある。


今回は、運転できないぐらい疲れていたわけではないけれど、「頼んでも大丈夫かも。」と推測できるくらい余裕があったので、頼んだ。「ちょっとムリ。」と言われても受け止められるぐらい余裕があった。


運転1つだけなら話はシンプルなのだけど、家事はたくさんある。
ちょっと疲れたからといって何でもかんでも相手に頼んでいいのかというと、そうすると相手が疲れてしまう。

『頼むこと』は難しいことである。

妻は天才か

「1週間以上、ノドが痛いの治らないなあ。」とつぶやくと、妻が、「扇風機のせいじゃない?」と言う。


毎晩エアコンをつけているが、私は扇風機もつけて、足に向けている。
それは、足が火照るからである。


扇風機の風が壁を伝って、私のノドを乾燥させているのではないかと言うのだ。
その発想はなかった。
妻は天才か。


「だって、ゆーきーの布団で横になったとき、めっちゃ扇風機の風が顔に当たるんだもん。」
・・・そうなんだ?
私は、扇風機の風が足に当たるのは分かるが、顔に当たるのを感じたことはない。
扇風機の向きとしては、風が顔に来てもおかしくないが。


「て言うか、扇風機の角度が悪いと、私のとこまで風が来て寒いんですけど。」
反射した扇風機の風が寒いなんて、繊細だなあ。
すいません。


私は、お腹を壊しても、そういうバイオリズムだと思っていたのだけれど、妻は、「昨日の夕飯が原因では?」などと、原因を探る。
さすがシャーロキアンである。適当。


とりあえず、扇風機を止めるのは無理だ。足が火照って寝られない。
マスクをして寝るか。
でも、寝てるときに外しちゃうんだよなあ。寝てるときに外さない方法があれば知りたい。

性格は変えられるか

子どもが生まれて分かったのは、性格は生まれつきだということだ。


2人生まれるとさらに分かる。「三つ子の魂百まで」と言うが、1歳ですでに性格はある。それが100歳まで続くかどうかは観察できないが。


私はずっと、性格を変えたいと思っていた。(今はもうほとんど諦めているが。)
明るく、強く、社交的な性格に。


スピリチュアルな本を読むと、性格は、子どもの頃の教育や出来事で育まれると書かれていた。
親の愛情が足りないと、自信のない子が育つとか。
私は自信がないが、親の愛情が足りなかったのだろうか?(アドラー心理学は、また逆ですけれど。)


性格を変えるために本を読んでみたり、紙に書いてみたり、口に出してみたり、CDを聞いてみたりしたが、ほとんど変わらず、アラフォーになった。

 

長女(4)は生まれた頃からよく泣き、臆病である。
親の愛情が足りないのだろうか?
次女(1)はあまり泣かないが、よく笑い、よく怒る。
よく怒るのは、親の愛情が足りないのだろうか?


いや、もう生まれつきだろ。


性格は生まれつきで、年齢と共に変化はするが、変化の範囲は決まっているのだろう。
そんなシンプルなことが、子どもが生まれるまで分からなかった。

 

分からなかったというより、受け入れられなかったのだろう、自分の性格が。

今、昔より受け入れられているのは、歳を取ったというのもあるが、結婚したということもあるだろう。

今も独身だったら、受け入れられていたかどうかは分からない。

自分で自分を受け入れることは難しい。

旦那の愚痴はのろけの一種

妻と占いの話をしていて、占いが趣味の友人のことを思い出した。占いをする方。


大学の頃、私の手相をみてもらったら、「22歳と25歳に彼女ができる。結婚は・・・結婚しない人生もアリなんじゃない?」と言われた。
本当に、22歳と25歳のときに彼女ができた。
驚きと同時に、結婚できないかもしれないと落ち込んだが、今、結婚している。


また、私が24〜25歳の頃に、この友人とチャットをしていると、私が大学時代に片想いしていた女性からチャットの通知が来た。
彼女はその頃には沖縄を離れ、婚約していた。


占いの友人と、片想いしていた女性と、しばらく同時にチャットをしていた。これは2窓と言い、ネチケットとしては良くありません。


ふと、その彼女と、婚約者の相性を、友人に占ってもらおうと思い、生年月日を聞いて、占ってもらった。
すると、婚約者はワガママ、だったか何だったか忘れたけれど、要は「相性は悪い。」というようなことを言われた。
それを女性に伝えると、「そうかなあ、そういうところもあるかも。」と言いながらも、気にしていないようだった。ラブラブなんだな、と思った。


それから何年かたって、彼女と旦那がうまくいっていないという話を、彼女から聞いた。
その話を妻に言うと、妻は「旦那とうまくいってないって、どういう風に?」と聞いてきた。
あれ?間違えたかな?
私は「占いは当たることもある。」と言いたかったんだけど。


「旦那とうまくいっていない。」
改めて見てみると、パワーワードである。
昔、片想いしていた女性が「旦那とうまくいっていない。」と言うので相談に乗る図。
不倫感がある。


いやいや、相談に乗ってないです。
また、直接彼女が「旦那とうまくいっていない。」と言ったわけではなくて、近況を報告したときに旦那の愚痴っぽいことを言っていたので、私が「旦那とうまくいっていない。」と要約したのだ。


浮気みたく思われたら嫌だなーと思って話を別の方向に持って行こうと思うが、何も思い浮かばない。


妻が言う。「旦那の愚痴はのろけの一種なんだよ。」
「そうなんだ。」
「そうだよ、DVとかじゃないんでしょ?」
「そんなことは言ってなかったなあ。」
「じゃあ大丈夫だよ。どうしてもムリなら離婚するでしょ。」
いや、まあ、のろけならいいんだけど。どこまでどうなのかは分からない。本人しか。


今、私は妻とうまくいってると思っている。
逆に、妻が私に冷たかったり、怒りをぶつけることが毎日だったとしたら、つらいだろうなあ、と思ったのだ。
私は恵まれているな、と思った。
逆に、職場の係員には恵まれておらず、今日は半ば無意識に年休を取った。

 

第三者の疲弊

先日、意味不明なこと(意味は分かるが)を言う係員についてエントリーで触れた。その係員をAとする。
今日、そのAに対し、係員Bがキレた。
「迷惑なんだよ!帰れ!帰って来るなよ!帰って来たら文句言い続けるからな!」と怒鳴った。
Aは私のところに来て、「どうしたらいいですか。」と聞く。
分からない。


BはAを睨み続け、「謝れ!謝れよ!」と怒鳴り続ける。
普通の係長なら「まあまあ、Bさん、落ち着いて。」と言うのだろう。
BはAとケンカする気満々だ。
私はどうしていいか分からなかった。


少し考えて、課長に電話をした。
課長は年休を取っていたのだけど。
「どうしたらいいですか。」
課長は「じゃあちょっと行くから。」と言ってくれた。


課長を待っていると、部長がやって来て、AとBを部長室に連れて行った。
最初から部長に連絡すれば良かったかな、課長は年休を取っていたのだから。


しかし、相当疲弊した。
ここで仕事を続けていく自信がない。
この気持ちをもし、AとBが聞いたらどう思うだろうか?
どっちも「被害者は私なんですけど?第三者の係長がどうして疲弊してるんですか?」と思うかもしれない。


それから課長もやって来て、部長やBと少し話をして帰って行った。


この険悪な雰囲気で、明日も仕事をしなければならないのだろうか?


就業後、AとBが帰り、他の課の人達が数人集まり、感想戦が行われた。
感想戦の意味はよく分からないが、語呂がいいので使ってみた。


「今日の揉め事はどんな経緯だったの?」
私は話す。
周りは面白そうに聞いてくれる。
面白そうに聞いてくれて、気が軽くなる部分もあるが、周りの職員との隔たりを感じる。あくまで他人事。


他の課の職員が「Cさんは大丈夫なの?」と、Cに聞いた。
Cは、同じ係の係員だ。
Cは言う。「大丈夫ですよ。面白いし。」
面白いのかよ!


私はCに、「オレはツラい思いしてるのに、Cさんは面白いんだ。」と言った。
するとCは「係長は、面白さが分かってないですよ。」と、深いようなナメたようなことを言う。


Cも疲弊して潰れるより、面白がってくれる方がマシだ。
しかし、私が疲弊し続け、潰れてしまったら、AもBもCも、「何で係長が?」と思うだろうか。