ゆーきーブログ(仮)

ゆーきーのブログ(仮)

喋らない私

今の職場環境が悪く、妻に愚痴るんだけど、妻は

「そんなにその人のことが好きなのね。」

と言う。

冗談ですよ、あくまで。

「夫婦の会話が増えた。」

とも言う。

そんなに私は喋らないのか。

あまり喋らないとは思っているけど。

そこまで自覚はない。

 

昔、合コンに行ったとき、私は結構喋ってるつもりだったのに、女子に

「もっと喋らないと!」

と注意された。

私が思うのは、相手が喋っている、私が聞いている、それで完結しているのではないの?ということである。

相手も喋っておらず、沈黙が流れているのであれば、それは、何とかしないといけないし、相手に

「何か喋ってよ。」

と言われるのも仕方ない状況である。

しかし、相手が喋っている、私が聞いている、なのに

「もっと喋ってよ。」

と言われるのは、不思議だ。

 

それとは少しずれるが、私が黙って聞いていたとしても、脳内では会話が盛んになされているので、私は、私自身が何も喋っていないとは全く感じられないのである。

コミコン沖縄に行ってみた

Comic Con Okinawa

コミコン沖縄

ComicCon Okinawa

 

コミコン沖縄とは、沖縄の米軍基地でやる、コミケみたいなもの?

コミケ行ったことないけど。

アツかった!コミコン沖縄!

比喩ではなく、気温が。

やばい。

真夏。

外も暑いし、メインの施設は、バスケットボールやる施設なのかな?空調がない。暑い。扇風機はあったけど。

足早に一周して外に出た。

外には、子どもが遊べる遊具がたくさんあった。

無料。

空気で膨らませた巨大滑り台、逆バンジー、小さな汽車など。

子どもは夢中で平気かもしれないけれど、外は暑い。

屋台は、ピザと、バーベキューと、ハンバーガーがあった。さすがアメリカ。

で、ジュースショップのある施設に入ることができた。そこは主にトレーニング施設で、トレーニング施設には入れないけど、ジュースショップで買い物はできた。

そこは基地の施設感を味わうことができてよかった。

クーラーもついてたし。

あと、パネルディスカッションをするところも別の施設だったんだけど、そこはクラブっぽかった。そこもクーラーついてたので、良かった。

サムライ・ジャックの声優が壇上で喋っていたのだけれど、ずっと英語で分からなかった。

その時は1時で、3時からは孫悟空野沢雅子が壇上にあがるプログラムだったが、ちょっと2時間粘るのはつらいかも、と思い、帰った。小さい子2人いるし。でもその時、ボックス席を確保できていたので、手放し難かった。

クラブっぽい施設で野沢雅子がパネルディスカッション、なかなか興味深かったが。

パネルディスカッションと、パンフレットには書いていたが、サムライ・ジャックの声優は、壇上で1人だった。

なかなかキツくない?

進行役がいないのって。

しかも、長テーブル2つくらいあってさ、そこに1人だよ?

なかなか酷い扱い。

アメリカから来ただろうに。

私達がボックス席を確保できるくらいには空いてたし。

まあ、知らんけど、サムライ・ジャックの声優・・・パルプ・フィクションにも出てたらしいけど・・・

野沢雅子先生もこんな扱いだったらどうしよう。

1人で壇上に放置だったら。

さすがに通訳はいるだろうが。

結局見ずに帰ったが。

いやもうホント明日に響くんでね、疲労が。

妻の花金

金曜日の夜、妻が「遊びに行きたい。」と言い出した。

子ども達が寝静まった後である。

午後11時。

「行ったらいいじゃん。」

と私は言った。

「どこに。」と妻。

「ネカフェとか。」と私。

「じゃあ行って来ます。」と妻。

ホントに行きよった。

まあいいけど。

それから私も寝た。

 

次女(2)の泣き声が聞こえる。

時計を見ると午前2時。

まだ妻は帰って来ないのか。

泣き疲れて寝やしないか、と思って無視するも、次女は泣き続ける。

這って次女の元へ行き、トントンしてやろうとするも、「いーーーやーーー。」と言って隣の部屋に行ってしまった。

えっ。

ママがいいのは分かる。

分かるよ。

でも今はママがいないから泣いてるのではないの?

「パパー!ママがいないよー!」

という場面ではないの?

なぜパパを拒絶したの?

まだ泣き続ける次女。

 

改めて私は次女の元へ行き、抱っこしようとするも、次女は両手を振り回し、

「たーたん(お母さん)がいーい!!!」

と言う。

分かってる。

分かってるって。

それは分かってるけど、なぜお父さんを拒絶するのか。

お父さんの胸で泣けばいいじゃないか。

私は継父か。

次女への愛情不足か。

 

余りに次女が泣くせいか、長女(4)が起き上がった。

次女は「たーたんが。たーたんが。」と長女に言う。

しかし長女はまた寝てしまった。

長女に非常事態を訴えたものの、長女がまた寝てしまったからか、次女は泣き続けることを忘れ、黙ってしまった。

私はまた布団に入った。

 

それから少しして、妻が帰って来た。

次女はまだ起きていたようで、妻に不満を訴えた。

 

私は子ども達を大切にしていないのかなあ。

そうなんだろうなあ。

でもなあ。

再読について

ふと思いついたのだが、本の再読。

私は本の再読が苦手だと思っているのだが、

「もう知ってるし。」と思って。

しかし、本を読むのにはきっかけがある。

読んだことのある本にも、

読もうと思ったきっかけがあるはずだ。

例えば、誰かのツイートがきっかけで

本を読んだとしたら、

改めてその本をすぐ再読するのではなく、

ツイートから読み直せば、

本を再読しやすいのではなかろうか。

まあ、本をすぐ再読してもいいんだけど。

そんな回りくどいことをせずに

そんなに読むのが面倒なら

読まなくてもいいし。

仕事じゃないんだから。

パートナーの誕生日

妻の誕生日である。

まだ何も用意していない。

 

これまで何も用意しないまま誕生日が過ぎることもあり、妻は「『結婚したら記念日は必ずお祝いする。』とは。」みたいなことを言って来たりする。

 

昔、mixiで、結婚バトンというのがあり、それは、結婚というお題で、質問に沿って日記を書くというものだ。

それに、私と結婚するメリットだったか何だったか忘れたけれど、まあ、上記のようなことを書いたのである。

それは独身の頃の、彼女もいないときの、20代半ば頃の話で、そんな昔の日記を読む妻も妻だし、というか付き合った頃に読まれたはず。mixiの存在を明かした私も迂闊である。

独身の諸君にお伝えしたい。

mixiはやるな。

 

誕生日で思い出した。

しかしあまり言いたくない。

でももう書いてしまう。

懺悔。

 

昔の彼女に、誕生日に1万円を渡したことがある。

思い出すだけで引く、自分に。

うろ覚えなのだけれど、「誕生日プレゼント何がいい?」と聞いたら、「うーん。」とか「何でもいい。」と言うので、1万円を渡したのだった。

付き合って1年もたってないのに。

付き合って2年たたずに別れたからそうだったはず。

いやー酷い。

mixiの結婚バトンのセリフは。

元カノも引いていた。

結局は一緒に、アクセサリーを買いに行ったのだけれど。

2万円以内だったと思う。

 

彼女ができる前は、私は愛情深い人間で、相手に尽くすぞ!と思っているのだが、いざ彼女ができると、けんもほろろである。

けんもほろろとは。

釣った魚に餌をやらないというヤツか。

いや、彼女を魚と呼ぶのは失礼だ。

まあ、冷たい人間なのである、要は。

だから、ずっと彼女ができなかったのだろう。

 

しかし、今、誕生日プレゼントとして、妻に2万円渡したら、引かれるどころか喜ばれるかもしれない。

理想の親

妻が、「人の命は重い。なのに子どもを捨てる親はおかしい。」みたいな記事を読んだようで、それから派生して、「子どもへの責任は、-親の-どこまであるのか不安だ。」というようなことを言った。

死なせなければ合格なのか。

他人に迷惑をかけないように躾ければ合格なのか。

大学まで出してやれば合格なのか。

立派な社会人になれば合格なのか。

分からないけれど、理想を追い求めると切りがない気がする。

 

土曜日に娘たちの運動会があったのだけれど、たくさんのビデオカメラが並んでいた。

私はiPhoneで画像や短いビデオをとっていたのだが、ビデオカメラは必要なのだろうか?

撮っても、観る時間がなくないか?

そもそも観るか?

そこでふと思った。

ビデオカメラで撮ってる親は、観るから撮るんだよな?

観るということは、観たいわけだ。

1度以上は。

ということは、観たいくらい楽しいんだな?運動会が。

そういう気づきがあったので、妻に聞いた。

「世の親御さんたちは、運動会が楽しいの?」

「えっ、ゆーきーは、楽しくないの?」

「・・・。」

ここで楽しくないと言うと、子どもが嫌いみたいではないか。

しかし、運動会、体育館だったにもかかわらず暑いし、床に座ると腰は痛いし、他人の子のプログラムなんて全く面白くないし、マイナスな要素が多過ぎる。

妻は言った。「楽しくないのね。」

「・・・。」

「おじいちゃんおばあちゃん(私の両親)来てくれたけど、来たくて来てるのか、義理で来てるのか分からないなーって思ってたけど、子どもたちのお父さんの方が、義務感で行ってたとは・・・。」

「ゆーきーは一生独身でも平気?」

話が飛躍した!

「いやーそんなことないよ。」

「子どもに興味がないなら、奥さんにだって興味がないのかなって。」

それは飛躍し過ぎだろう。

運動会が楽しくないとそれとでは。

 

しかし正直なところ、妻に比べれば、子ども好き度は低いかもしれない。

妻が言う。「結婚する前、お義母さんが「ゆーきーは子ども好きだからねー。」と言ってたのは何だったんだろう。」

妻の母、お義母さんも「ゆーきーさんは子ども好きじゃなさそうね。」と言っていたらしい。

確かに休日、子どもたちが遊んでいるそばでスマホをいじってばかりいたら、そう思うだろう。

何かこの、冷たい人間的な、自己中心的なそんな感じだろうか私は。

全部自分一人でやってるわけじゃなくて、妻の方が多いけれど、保育園に行く準備をして、子どもたちをお風呂に入れたり、会社が代わる前は送迎もして、そういうことを、ちゃんとしているつもりだけれど、それは『理想の親』からすれば、「義務でやってるわけよね?」ってなるかもしれない。

「偽善だね。」みたいな。

「やってても心はこもってないわけでしょ。」みたいな。だから、『理想の親』と比べてしまうと、やることをある程度やってたと、やってたつもりだとしても、『気持ち』すら採点されてしまうわけです。

無償の愛とか何とか。

だから切りがないなーと。