注文の多い洋菓子店
移動圏内に、オサレな洋菓子屋さんがあった。(知らなかった。)買って帰って食べてみたら美味しくて、妻も大絶賛だった。
それからネットで編みの情報を得ようと検索したら、オーナーのフェイスブックが出てきて、オーナーが、そのお店の感想を書いたブログの記事のアドレスを張り、言及していた。
そのブログの記事も、批判的ではないように思われたが、オーナーの癪に触ったらしく、遠回しに反論めいたことを書いており、嫌味に感じられた。
オーナーのフェイスブックをさかのぼればさかのぼるほど、世間に叩かれるほど嫌なことは書いていないが、何かこう、「メンタル大丈夫か?」と思ってしまうような感想を持ってしまう。
お店に行って、無意識にオーナーの癪に触るようなことをやってしまい、フェイスブックに書かれないか不安になった。
だからそのお店に行くが失せたのだけれど、妻はいたく気に入り、何度か持ち帰りで買ってくるようになった。
妻が、「ランチもやってるみたいだから行こうよ。」と言う。積極的に行きたいとは思わないけど、行きたくないとまでは思わないので、行くことにする。
以前お店に行ったとき、「予約を強くお勧めします。」という貼り紙がされていたので、妻に電話をしてもらうよう伝える。
「行ってみて、空いてなければ別のとこ行こうよ。」
「いやでも、『飛び込みで来るなよ。』って思われたら嫌だし。」
私は自意識過剰になっている。
妻が電話をし、空いていることを確認する。
お店に着く。
「予約を強くお勧めします。」
「店内の写真撮影は禁止です。」
「○人以上は御利用を御遠慮頂いています。」
「2時間以上の滞在は御遠慮ください。」
という貼り紙がされている。
私は体がこわばる。
店内はオーナー1人だった。
ランチメニューを見せられ、内容が説明される。
「分かりました。」と言ってメニューを見ていると、前菜が出てきた。
心の中で驚く。
ランチメニューは全部前菜がついてるから、聞かなくても前菜を出すのは当然なのだが、いやでもさ、順番的に・・・。
前菜について、事細かに説明されるが、頭に入ってこない。
メインも事細かに説明されるが、頭に入ってこない。
うかつなことを言ってオーナーに聞かれ、フェイスブックに書かれたら嫌なので、黙って食べる。
デザートは、ショーケースから選べるのだが、イートイン専用のケーキが品切れで、妻が、オーナーの前で「残念!」と言う。
「余計なこと言うのやめろ!」と心の中で思う。
デザート、美味しい。妻も満足のようだった。
しかし、私は緊張して疲れてしまった。できれば今後はお持ち帰りのみで利用したい。
もうちょっと事細かなエピソードを書きたかったが、オーナーに特定されたら嫌だなと思いながら書きました。
知識を身につけたい欲
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』という本が売れたらしい。『おとなのための教養入門』というムックもあるし、池上彰も『おとなの教養』という本を出していふる。『教養入門』という特集は、ビジネス雑誌で定期的に見かける。
41歳の私も、教養を身につけたいと思う。今さら?恐らく、今さらだからだろう。30歳、40歳、50歳になった人間が、人並みに仕事はしてきたけれど、自分の中に何もない、そこで教養を身につけようかと思ったりする。
そこで歴史の本等を読み出しても、早々に挫折する。「教養を身につけたい。」という気持ちと、興味という気持ちは別だからだ。
そもそも、「教養を身につける。」とは何か?人それぞれ持論はあるだろうが、「教養を身につけたい」本人がそれをよく分かっていないのである。
分からないが何とかしないと、欲求不満になる。
私はこの、「教養を身につけたい欲」をなだめる答えにたどり着いた。簡単である。史実に基づいたフィクションの小説、漫画、映画等に触れるのだ。それだけ。
ここでの注意点は、「知識を網羅しよう。」と欲張らないことである。「教養を身につけたい欲」というのは食欲のようなもので、増えたり減ったりする。そもそも「教養」が何なのか分からないし、世界中全ての知識を得ることなど不可能だし、もし万が一、かなり多くの知識を得ることができたとして、自分自身が満足しない可能性がある。
だから、「あー教養身につけてえなー。」と思ったら、「教養入門」や「大人のための世界史」等を読まず、まあ、例えば「風雲児たち」を読むといいでしょう。
そして、教養を身につけたい欲が収まったら、読むのをやめていい。読みたかったら読むし、読みたくなかったらやめる。そんなことしてたら死ぬまで大した教養は得られない。得られないけど、死ぬときに教養は必要ない気がする。
長女の修了式
今日は長女(6)の幼稚園の修了式だ。(卒園式ではないのか?文書は修了式だった。)
長女はいつの間にこんなに大きくなってしまったのだろう。私は何も変わっていない気がするのに。(母もお婆ちゃんになっている気がする。父も老いている気はするが、母の方が顕著だ。)
「いつの間に」と言いつつ、長女が小さかった頃のこともよく思い出せない。小さい頃の画像を見ると「こんなことあったっけ?」と思うことがある。
ETCのゲートに突っ込む
車検で車入庫して、代車借りたんですけど、代車にETCついてないの忘れて、高速のETCのゲート突っ込んじゃって、ポールをぶっ飛ばしてしまった。
ポールは柔らかかった。
ぶっ飛ばした後にETCついてないのに気づいて停車して、ETCのレーンを渋滞させてしまった。申し訳ない。時々、ETCのレーンが閉鎖されると、「何やってんだよ!」とキレてたけど、キレられる立場になってしまった。
それが昨日で、今日もやってしまった。
ETCの数百メートル先で、「ETCカードが挿入されていないどころか、ETCの機器すらありません。」と忠告してくれるアプリがあればいいのだが。
仕事が煮詰まる
月曜日までにまとめなければならない資料を修正しているが、なかなかできあがらない。
毎日残業し、土日は休みたいと思っているが、このペースだと厳しい。
しかし休まず仕事すれば、来週の仕事のペースがガクンと落ちそうだ。(月曜日でゴールというわけではない。)
部長とN課長の価値観が全く異なることがこの仕事を難しくしている。1人の意見を反映させるのと、異なる2人の意見を反映させるのでは大違いだ。
しかも資料が1ページならまだしも、50〜60ページはある。
指摘されたことだけをやり、指摘されてないことはやらなければ、(それがもし指摘されるであろうと予測されることだとしても)時間は短縮できるかもしれない。
しかしそれはそれで、「前もって検討されていない!」と怒られるだろう。
仕事が雑な私の課長や係員は、事前準備が疎かで、いざという時に慌てふためくのだが、そのいざという時が過ぎるとケロッと忘れている。反省がない。
ある意味羨ましい。人生トータルで考えれば、そういう性格の方が楽かもしれない。アリとキリギリスで言えばキリギリス。
キリギリスは冬に凍えて飢えるときは苦しみ、後悔するだろうが、死ねば苦しみはなくなる(?)だろうし、アリに助けられたとしても、その後勤勉に働くことはないだろう。
✳︎
この資料作成の仕事、やってるベクトルが合っているのか不安になってきた。一番いいのは一部を部長に確認してもらうことなのだが、部長は「各係長間で揉め。」と言うだろう。しかし各係長は忙しいから、案があればそれに従うだろう。そしてメクラ印を押されたような案を管理職間に提出しても、部長とN課長に叩かれる。