料理に失敗しない方法
最近、グリルで鶏肉を焼いて食べるのにハマッているのですが、(グリルは片面焼きです。)昨日、皮が真っ黒焦げになってしまいました。
私は「うわあああ。」と声を出してしまった。
この間までは成功していたのに。
妻が「時間が長かったんだね。」と言う。
「でも、皮は8分って言ってたじゃん。」
私は、肉の面は10分、皮の面は8分と教わった。
鶏モモ肉1枚の話です。
「でもそのときは、2枚焼いてたでしょ?時間はテキトーよ。」
「テキトーって。」
「見ながら焼かないと。」
『見ながら。』
頂きました。
これ大事じゃないでしょうか。
『途中で見る。』
そうすれば、焼き過ぎるという失敗がへるだろう。
また、『途中で味見する。』という話も聞いたことがある。
『途中で見る。』
『途中で味見する。』
これで料理に失敗する確率は格段に減るだろう。
しかし、土井義晴先生のレシピ本などに、(他の先生もおっしゃっているだろうが、)「(焼きもの、炒めものなどで)やたらとひっくり返さない、やたらと混ぜない。」ことを注意事項に挙げているので、料理はそう簡単には上手くいかない。
記録をするモチベーションを上げる方法
学んだこと。不安を味方につけるためのタスク管理【沖縄編】で。
昨日参加した『不安を味方につけるためのタスク管理【沖縄編】で学んだことをシェアします。1つだけ。
これは、Taskchute及びたすくまユーザー限定のシェアなんですけど、
『タスクは全部、リピートタスクにしろ。』
以上です。
例えばたすくまでは、新しくタスクを作成して終了すると『リピートタスクを作成しますか?』と聞いてくるんですが、作成しないことは考えられないそうです。
理由は、「だってまたやるでしょう。」
不安を味方につけるためのタスク管理【沖縄編】に行ってきた
不安を味方につけるためのタスク管理【沖縄編】に参加しました。
5名の方が参加しておりまして、全員、去年もお目にかかった方々でした。
私の記憶が確かならば、佐々木さんのセミナーは沖縄では4回目です。
ご家族は沖縄観光をしているらしい。
と言うことは、ご家族が来年も沖縄に来たいと言えば来年もセミナーがあるだろうし、言わなければないだろう。
ということで、参加者のKさんはずっと、佐々木さんの娘さんにオススメのスポットを考えていた。
(『釣り』を推していた。)
今考えれば、奥様に主導権を握っている可能性もあると思うのだが、そのときはそういう話は出なかった。
恐らく、佐々木さん1人が「沖縄に行こう。」と言っても、通らないと思う。何となく。
沖縄でも参加者が何十人もいれば、セミナーだけで佐々木さんを呼べるかもしれないが、毎回5〜6人だし、聞くところによると、東京のイベントでも、私たちは、50〜60人ぐらい人が集まると思っていたのだが、そういうわけでもないらしく、だったら沖縄で5〜6人なのは仕方ないなあ、と思った。
役に立つブログ
このブログのアクセス解析を見たら、PVが40を超えている日が1日だけあった。
普段は1桁である。
それでツイッターに、「なんでだろう、気になる。」という旨のツイートをした。
するとそれを見た妻が、
「ゆーきーのブログって見る人少ないんだね。」
と言った。
見下された!!!
妻もブログを持っており、旅行に関する内容を年に1〜2回だけ投稿しているらしいのだが、(チラッと見たことはあるが、ちゃんと読んだことはない。こんなこと言うと、「妻に興味がないの?!」と言われそうだ。)それでも毎日平均50PVぐらいはあるらしい。
私なんて週3〜4回投稿してるのに。
妻は「ゆーきーもお役立ちブログ書いたら。」と言う。
アドバイスされた!!!
妻に!!!
年に1〜2回しか投稿しない妻にブログのアドバイスされた!!!
まあ、分かりますけどね。
これは悩ましいところでして。
読まれないよりは読まれた方がいい。
でも、『読まれるブログ』『役に立つブログ』とか、考えるのめんどくさい。
私はライフハックブログとか好きでよく読むのですが、よく読むわりに、書く気が全然しない。
日々の愚痴っぽいことをつらつらと垂れ流す方が筆が進む。
だからまあ、今のままでいいというか、こんなもんだろうと思うのです。
父親の役割
昨日、なぜかなかなか寝つけなくて、長女(5)が、私がシャワーを浴びせるのを嫌がって泣き叫んでいたことを思い出していた。
ずっと、「子どもだから。」と思って無理矢理シャワーを浴びせていたのだけれど、5歳というと、結構大きい。
私が5歳の頃はどうだったか。
思い出せない。。。
親のシャワーを嫌がって泣いた記憶はないけれど、もし、5歳の私が嫌がっているのに、親が無理矢理浴びせたらどうか。
いや、シャワーを浴びせることは、しなくていいことにはならないんだけど。
それから妻に「子どもたちのシャワーお願いします。」と言った。
シャワーのことだけではなくて、私が結果的に子どもたちに嫌われることは、やるべきことをして嫌われることは仕方ないと思うけれど、私は子どもたちに愛情を注いでいるだろうか?
妻は「子どもに興味ないでしょ。」と思っているかもしれない。
確かに、かなり、ほとんど、放ったらかしだ。
私の中で、『こんなに家事やってんだから、子どもにかまう時間なんてない。』という気持ちがある。
しかし、それでいいのか?
私自身は。
子どもたちに、黙々と家事をやってあとは黙々とスマホをいじっている家政婦おじさんと思われるのだろうか。
いや、ホントに、しょーもない私ごときが、何でもかんでもできないよ、時間も体力も能力もない、と思ってしまうのだけど、父親としての役割というんですか、もうちょっと何か、将来「こんなはずでは。」と思わないために。
未だに娘がシャワーで泣く
私がシャワーを浴びせると子どもたちが泣く。
生まれたときからそうで、しばらくすれば慣れるだろうと思っていたが、長女は5歳になっても、嫌がって泣く。
号泣だ。
(泣かない日もあります。)
ちょっと前に、ツイッターで、5か月の娘のおっぱいをつっついたら妻と娘に逃げられた、みたいな話があって、ホッテントリにあがっていたのだけど、そのまとめだけだと、『5か月の娘のおっぱいをつっつく』という行為がどのようなものであったのか判断するに足りる情報が少なすぎると私は思ったのだけど、『当然性的虐待だ。』と思っている人も多いようだった。
繰り返すけれど、その人のその行為が実際にどのようなものだったかは分かりません。
で、『5か月の娘のおっぱいをつっつく』ことが性的虐待であるならば、嫌がる5歳の娘にシャワーを浴びせる行為は、無期懲役に処せられるであろう。
娘が成長して、「あの頃無理矢理シャワーを浴びせられた。」と訴えられたら、妻が謝って欲しい。
私は娘にシャワーを浴びせたくない。
妻が忙しいと言って娘たちにシャワーを浴びせないから私は仕方なくシャワーを浴びせているのだ。
親の責務を果たしているだけだ。
訴えられなくても、引きこもりだかアダルトチルドレンだかになって、大人になっても幼い頃に無理矢理シャワーを浴びせられたことを恨まれても、妻が謝って欲しい。
私が嫌われるのだから、私が悪いのだ、嫌われなければいいのだ、という糾弾も考えられるが、そんなことまで考えてたら父親なんてできない!!!!!
将来、娘たちに対しては、妻が謝罪して欲しいと言うと妻は「父親は娘から嫌われるものよ。仕方ないね。」と言った。