ゆーきーブログ(仮)

ゆーきーのブログ(仮)

映画『カメラを止めるな!』観て来た

映画『カメラを止めるな!』を観て来ました。

沖縄では今日公開だったので。

残念だったのは、話題になっているのを目にしてから、かなり日が経ってしまい、いやがおうにも意識し過ぎてしまったことです。

良い映画だったと思ったのは間違いないのですが。

話題になっているのを知って、「じゃあちょっと観に行ってみようかな?」つって観られればもっと良かった。

映画を観た人のブログで、「期待値を下げて観に行った方がよい。」と書いてあったのだけど、そんなことが可能なのだろうか?

「期待値を下げよう。」と思ったところで、期待値は多少下がるかもしれないけれど、意識してしまい、その意識というか予想、想定の範囲が広がり、その範囲内に収まってしまうのではなかろうか。

(同じことを言ってる気がするが。)

「期待値を下げる。」とは上下の問題だが、正確には、想定という、例えるなら球状のものの大きさなのではなかろうか。

実写版『デビルマン』という映画があり、酷い映画だという評判なのだが、その評判(酷評?)をずっと見て来て、ついに暇なときに観たことがあった。

実写版『デビルマン』は、その期待値を上回る(下回る?)酷さで、「すげえ!酷い!」と思ったのだが、これが想定の範囲外の例ではなかろうか。

矢部太郎の『大家さんと僕』という漫画があって、私は前評判を知らずに読んだんだけど、そのとき「面白い!」と思いました。

しかしこれが、手塚治虫賞を獲った後で、ネットでの評判を見たあとで、さらにその漫画が1か月後にしか読むことができないとなったらどうだったか?

そういうことです。

一応、ネタバレに気を使って、こういうエントリーを書きました。

係員の告白(相談)

係員(女性)がメモを見せ、(それにはベンダーの名称と、従業員の名前が記されていた。)「この人と付き合おうと思うんですけど、いいですか?」と言った。

私は驚いた。唐突な告白だったからである。

係員とそのベンダーの従業員(以下「ベンダー君」という。)の組み合わせが意外だったという訳ではない。

それから係員は「係長が『ダメ。』って言ったら付き合うのやめようと思うんですけど。」と言った。

私はさらに驚いた。

なぜ?

なぜ私が「ダメ。」と言ったら付き合うのをやめるのか?

係員は「『ベンダーと付き合うのはちょっと。』とかあったりしたら。」と言う。

利害関係者と交際するのが良いか悪いかは分からないけれど、交際の判断を上司に委ねるか?

そんなに好きじゃないのか?(とは聞けなかったけれど。)

「付き合っちゃいなよ。」も「やめときなよ。」も家族や親友が言えることであって、たかだか同じ係になって5か月の係長に聞くことではないのではないか?

私はベンダー君のこともよく知らないし。

その係員は30代で、30代で付き合うって言ったら結婚も視野に入れそうなものだが、「付き合おうかなー、でも係長が『ダメ。』って言ったらやめようかなー。」みたいなことってあるのだろうか?

あるのだろう実際。

係員は「まだ係長にしか言ってません。」と言っていた。

ああ、言いたい。

みんなに言いたい。

習慣化に成功しても期待は裏切られる

習慣化に成功しても期待は裏切られる。

私は筋トレの習慣化に成功しました。

去年の8月から始めて、1年を超えました。

これは習慣化に成功したと言ってもいいでしょう。

しかし。

見た目は全く変わらないし、腕立て伏せも、いわゆる普通の腕立て伏せは10回できるかできないか。

つまり、結果が出ていないのです。

やり方が悪いのでしょう。

しかし、習慣化を煽る本はいっぱいあります。

腕立て伏せ1回することだけを習慣化することで、数か月後には、筋肉モリモリに!(ウソです。筋肉モリモリに、とは書かれていませんが、何かとてもよくなる、というようなことが書かれています。)

私も、数か月ではムリでも、1年もやれば何かそれなりに結果が出るだろうと思っていました。

もちろん、筋トレをしないときよりは、筋肉はついたかもしれません。

しかしそれは、私が想像、期待していたのと違って、

見た目は全く変わらないし、腕立て伏せも、いわゆる普通の腕立て伏せは10回できるかできないか、

なのです。

ラジオ体操がテレビでやっていた

ラジオ体操がテレビでやっていた。

朝6時半頃、Eテレで。

これはどういうことだろうか?

これではテレビ体操ではないか?

しかし、ラジオ体操=テレビ体操というのも変だ。

そもそも、ラジオ体操とは何か?

ラジオの指示に沿って体操をすることだろうか?

であるなら、ラジオ体操が流れるラジオを、テレビで放送すべきではないか?

ラジオ体操と名付けるなら、ラジオを使って体操すべきだったのではないか?(ネーミングの失敗説)

今、ラジオ体操が放送されている番組の名前を検索してみると、『みんなの体操』だった。

逆に、『ラジオ体操』を『みんなの体操』にすべきで、『みんなの体操』を『テレビ体操』にすべきではないか?

『ラジオ体操』以外に『ラジオダンス』というのはないのだろうか?(『体操』部分を変更してみる。)

ラジオ英会話という番組がある。

あれを、テレビでやることはない。

テレビでやるなら、他のタイトルになる。

ラジオ体操は、曲の名前のようなものだろう。

 

 

妻のブログの書き方

以前、妻のブログについて書いたことがあるが、

役に立つブログ - ゆーきーブログ(仮)

昨日もまた1日PVが80〜100あると自慢するので、(こんなことを書くと「意地悪だ。」と怒るのだが、)妻のブログの書き方について改めて書いてみたい。

1日PV80〜100がいわゆる『ブロガー』にとってゴミのような数字であることは承知の上です。

ちなみに私のブログの1日PVは0〜10です。

 

妻は旅行に行く前、旅行先についてずっとググっている。

夜私が寝るときもググっているし、朝私が起きるときもググっている。

それ以外にもググっている。

妻によれば、旅行の知りたい情報がググってもなかった場合、旅行に行って、その情報を得たら、それをブログに書くらしい。

そうすれば、妻が知りたかったように、他の人も知りたい人がいて、妻のブログにたどり着くのだろう、という。

 

これを聞いて連想したのが、

タスク管理において、記録を重視することです。

タスク管理において記録を重視するとは、次にタスクを実行する際、過去のタスクの記録を見て、タスクを実行し、また記録するという流れで進めるということです。

 

妻の場合は、自分の記録ではなく、他人の記録を見るところが異なります。

まあ、旅行で他人の記録(ガイドブックなど)を見ない人の方が少ない気はします。

インターネットが大きなガイドブックだとすれば、自分の記録をそこに残す人は多くはないでしょう。