体調を崩しました
体調を崩しました。
腰が痛い。
お腹も痛い。
体温は37.5℃。
昨日飲み会に行ったからだろうか?
映画『カメラを止めるな!』観て来た
映画『カメラを止めるな!』を観て来ました。
沖縄では今日公開だったので。
残念だったのは、話題になっているのを目にしてから、かなり日が経ってしまい、いやがおうにも意識し過ぎてしまったことです。
良い映画だったと思ったのは間違いないのですが。
話題になっているのを知って、「じゃあちょっと観に行ってみようかな?」つって観られればもっと良かった。
映画を観た人のブログで、「期待値を下げて観に行った方がよい。」と書いてあったのだけど、そんなことが可能なのだろうか?
「期待値を下げよう。」と思ったところで、期待値は多少下がるかもしれないけれど、意識してしまい、その意識というか予想、想定の範囲が広がり、その範囲内に収まってしまうのではなかろうか。
(同じことを言ってる気がするが。)
「期待値を下げる。」とは上下の問題だが、正確には、想定という、例えるなら球状のものの大きさなのではなかろうか。
実写版『デビルマン』という映画があり、酷い映画だという評判なのだが、その評判(酷評?)をずっと見て来て、ついに暇なときに観たことがあった。
実写版『デビルマン』は、その期待値を上回る(下回る?)酷さで、「すげえ!酷い!」と思ったのだが、これが想定の範囲外の例ではなかろうか。
矢部太郎の『大家さんと僕』という漫画があって、私は前評判を知らずに読んだんだけど、そのとき「面白い!」と思いました。
しかしこれが、手塚治虫賞を獲った後で、ネットでの評判を見たあとで、さらにその漫画が1か月後にしか読むことができないとなったらどうだったか?
そういうことです。
一応、ネタバレに気を使って、こういうエントリーを書きました。
係員の告白(相談)
係員(女性)がメモを見せ、(それにはベンダーの名称と、従業員の名前が記されていた。)「この人と付き合おうと思うんですけど、いいですか?」と言った。
私は驚いた。唐突な告白だったからである。
係員とそのベンダーの従業員(以下「ベンダー君」という。)の組み合わせが意外だったという訳ではない。
それから係員は「係長が『ダメ。』って言ったら付き合うのやめようと思うんですけど。」と言った。
私はさらに驚いた。
なぜ?
なぜ私が「ダメ。」と言ったら付き合うのをやめるのか?
係員は「『ベンダーと付き合うのはちょっと。』とかあったりしたら。」と言う。
利害関係者と交際するのが良いか悪いかは分からないけれど、交際の判断を上司に委ねるか?
そんなに好きじゃないのか?(とは聞けなかったけれど。)
「付き合っちゃいなよ。」も「やめときなよ。」も家族や親友が言えることであって、たかだか同じ係になって5か月の係長に聞くことではないのではないか?
私はベンダー君のこともよく知らないし。
その係員は30代で、30代で付き合うって言ったら結婚も視野に入れそうなものだが、「付き合おうかなー、でも係長が『ダメ。』って言ったらやめようかなー。」みたいなことってあるのだろうか?
あるのだろう実際。
係員は「まだ係長にしか言ってません。」と言っていた。
ああ、言いたい。
みんなに言いたい。
職場でキレて早退(11か月振り3回目)
タイトルだけ見ると粗暴な人間だな。
習慣化に成功しても期待は裏切られる
習慣化に成功しても期待は裏切られる。
私は筋トレの習慣化に成功しました。
去年の8月から始めて、1年を超えました。
これは習慣化に成功したと言ってもいいでしょう。
しかし。
見た目は全く変わらないし、腕立て伏せも、いわゆる普通の腕立て伏せは10回できるかできないか。
つまり、結果が出ていないのです。
やり方が悪いのでしょう。
しかし、習慣化を煽る本はいっぱいあります。
腕立て伏せ1回することだけを習慣化することで、数か月後には、筋肉モリモリに!(ウソです。筋肉モリモリに、とは書かれていませんが、何かとてもよくなる、というようなことが書かれています。)
私も、数か月ではムリでも、1年もやれば何かそれなりに結果が出るだろうと思っていました。
もちろん、筋トレをしないときよりは、筋肉はついたかもしれません。
しかしそれは、私が想像、期待していたのと違って、
見た目は全く変わらないし、腕立て伏せも、いわゆる普通の腕立て伏せは10回できるかできないか、
なのです。
ラジオ体操がテレビでやっていた
ラジオ体操がテレビでやっていた。
朝6時半頃、Eテレで。
これはどういうことだろうか?
これではテレビ体操ではないか?
しかし、ラジオ体操=テレビ体操というのも変だ。
そもそも、ラジオ体操とは何か?
ラジオの指示に沿って体操をすることだろうか?
であるなら、ラジオ体操が流れるラジオを、テレビで放送すべきではないか?
ラジオ体操と名付けるなら、ラジオを使って体操すべきだったのではないか?(ネーミングの失敗説)
今、ラジオ体操が放送されている番組の名前を検索してみると、『みんなの体操』だった。
逆に、『ラジオ体操』を『みんなの体操』にすべきで、『みんなの体操』を『テレビ体操』にすべきではないか?
『ラジオ体操』以外に『ラジオダンス』というのはないのだろうか?(『体操』部分を変更してみる。)
ラジオ英会話という番組がある。
あれを、テレビでやることはない。
テレビでやるなら、他のタイトルになる。
ラジオ体操は、曲の名前のようなものだろう。
妻のブログの書き方
以前、妻のブログについて書いたことがあるが、
昨日もまた1日PVが80〜100あると自慢するので、(こんなことを書くと「意地悪だ。」と怒るのだが、)妻のブログの書き方について改めて書いてみたい。
1日PV80〜100がいわゆる『ブロガー』にとってゴミのような数字であることは承知の上です。
ちなみに私のブログの1日PVは0〜10です。
妻は旅行に行く前、旅行先についてずっとググっている。
夜私が寝るときもググっているし、朝私が起きるときもググっている。
それ以外にもググっている。
妻によれば、旅行の知りたい情報がググってもなかった場合、旅行に行って、その情報を得たら、それをブログに書くらしい。
そうすれば、妻が知りたかったように、他の人も知りたい人がいて、妻のブログにたどり着くのだろう、という。
これを聞いて連想したのが、
タスク管理において、記録を重視することです。
タスク管理において記録を重視するとは、次にタスクを実行する際、過去のタスクの記録を見て、タスクを実行し、また記録するという流れで進めるということです。
妻の場合は、自分の記録ではなく、他人の記録を見るところが異なります。
まあ、旅行で他人の記録(ガイドブックなど)を見ない人の方が少ない気はします。
インターネットが大きなガイドブックだとすれば、自分の記録をそこに残す人は多くはないでしょう。