はてなブログ(仮)

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自分のブログを読む

自分で自分のブログを読むとする。
「面白いとも面白くないとも言えない。」と思ったとする。
他人に読ませたとする。
「面白い。」と言われたとする。
あるいは「面白くない。」と言われたとする。
どの意見を採用すべきか?


「自分の感覚を信じる。」ことが良さそうに思える。
しかし、日記でもない限り、ブログにしろ何にしろ、他人に公開するからには、他人の感想を無視することはできない。
しかし他人はいっぱいいて、意見もいっぱいある。
どれを採用すべきか分からない。


他人を一人に絞るというのはどうか。
良さそうな気はする。
その一人に気に入られるように、ということではなくて、その一人が「面白い。」と言おうが「面白くない。」と言おうが、伝わればいいのだ。


例えば、妻は私のブログを読むので、書くときに頭の片隅にはあるのだけれど、しかし妻は『ライフハック』に全く興味がないので、ライフハックのことを書きたいときは、読者の一人としてふさわしいとは思われない。
そうなると、他の誰か一人を選んで読んでもらったとしても、「このテーマはあなたには分からないでしょうけど。」となるだろう。


やっぱり、私自身が良ければ良いのだろうか?
例えば、私のコピーロボットがいたとして、コピーロボットには、書いた記憶は同期させない。

それからコピーロボットに読ませる。

コピーロボットが、「なるほど。分かる、分かるわー。」と言えば、良いのではないか?
良いって何だ。

伝わりさえすれば良いのか?

ならカウンセラーみたいな読者がいれば良いのか?

(そもそもの話として、私は私のブログをほとんど読み返さないのだけど。)

友人のカフェ

仕事を21時に終えた。
書類のチェックである。
その書類の担当は定時に帰ってしまった。
妻も子も実家に帰ってしまったし。
さて、夕飯何にしよう。


午前10時にポークたまごおにぎりを2個食べたきりなのに、お腹が空いていない。
体調が悪いのか?
喉が荒れている。


車を走らせながら、ココイチにしようか、天一にしようか、バーガーキングか、うーん、どれもピンと来ない、などと考える。
ふと、帰り道に、友人が経営しているカフェがあることを思い出した。
少し遠回りだけれど。

(遠回りだったら帰り道とは言わないのか?

方向が一緒なのだ。)


昔は「友だちがカフェやっててさ。」と言って、女の子をデートに誘ったものである。
恥ずかしい。
デートできたこともあるが、交際に発展したことはない。


ほとんどは、一人で通っていた。
独身で、彼女もいなかった頃。
毎週のように。
相当暇だったのだろう。
家から40〜50分はかかる。
今では考えられない。
当時は『暇』だとは全く思わなかったが、今から見れば、相当『暇』である。


カフェに着き、席に座る。
友人はいないようだ。
全然変わらない。
十何年も経っているのに。
飲食店は1年で90%が潰れるのではなかったか。
言い過ぎか。


よく食べていたオムライスを頼む。
食べて驚く。
変わっていた。
オムライスのライスが。
そりゃあ変わるよなあ。
何かは変わるよ。
私だって変わったもん。

 

(ここで終わった方がキリがいいのだが、

まあ別に大した話でもないので続ける。

このカフェに来たのは何年振りというわけでもない。

2〜3か月前にも来た。

家族で。

そのときはオムライスを食べなかったのだろうか?

ライスはどうだったのだろうか?

思い出せない。)

謝ること

係員Bは休むと翌日、「すみませんでした。」と頭を下げる。
私は「あ、いや別に。」と言う。
心の中では、『何で謝るんだ?』と思っていた。
この係員はよく休むのだけれど、よく頭を下げた

 

しかし最近分かったのだが、大事なときに休んでも謝らないのだ、この係員Bは。
書類の提出期限などに休んでも。
私が代わりに提出したこともあったし、「まだ提出されていない。」と私が怒られることもあった。
そんなときこそ翌日「すみません。」、そうでなくても「ありがとうございます。」は欲しいのだが、ない。

 

私は『謝ることは難しいことなのに、よく簡単に謝れるな、この人は。』と思っていたのだが、やはりこの人も、『謝れ』ないのだ。

 

私の子どもたちも、ふいにぶつかったりして、親が「いたっ。」と言ったり、兄弟が少し泣いたりしたら「ごめんなさーい。」とか「ごめんねー。」と謝る。
しかし、親が酷く痛がったり(実際酷く痛い。)、兄弟が大号泣したりしたら、謝らない、謝れないのである。
よくて「ごめんねー。」と言い、相手が「いいよ。」と言わない、言えないでいると、「ごめんねって言ったのに!」と逆ギレする。
子どもは仕方ない。子どもなのだから。

 

私だって難しい。

m&m'sピーナツバター味

妻が「一人でこんなもの買い食いしてるのね。」と言った。


妻が、私の車の助手席に乗るときだった。
運転席の床に、m&m'sが散らばっていたのだ。
カラフルなm&m'sが。
味はピーナツバター。


あなたは食べたことがあるか?
ピーナツバター味を。
甘いが、塩気もある。
あとカロリーの味がする。(要は脂。)
アメリカ人が好きそうな味だ。


私は最近まで、ピーナツバターそのものを食べたことがなかった。
食べて驚いた。
甘くない。
私が想像していたのはピーナツクリームだった。
しかしなかなかクセになる味である。

 

さて昨日、職場を出ると、雨が降っていた。
金曜日で、雨。
道が混みそうだ。
普通でさえ1時間かかるのに、どれだけかかるのだろうか。
私は職場近くのコンビニに寄り、m&m'sを買った。
袋を開け、股にはさみ、食べながら運転する。
数粒食べたところで、袋を落としてしまった。
m&m'sが床に散らばる。
まだ数粒しか食べていないのに。
赤信号などで車が停車するときに、床を手探りする。
視線は前に向けたままで。
拾うと服で拭き、口に入れる。
※真似しないでください。
それを数粒やり、手探りで探せなくなったので、やめた。
車を降りる頃には、m&m'sを落としたことを忘れていた。
そのm&m'sが床に残っており、今日、妻に見つかったのだ。

『退屈すれば脳はひらめく』を読む

『退屈すれば脳はひらめく』という本を読んだ。
著者は、仕事で行き詰まりを感じたときに、「これはスマホのせいだ、育休中に何時間もベビーカーを押してたときはたくさんひらめきがあった。」と思ったらしい。
この本は、スマホを制限するためのレッスンである。


スマホを制限することに異論はない。
私もスマホを制限したいからこの本を買った。
しかし。


スマホを持つ前、私はひらめいていたか?
脳の状態、精神状態はどうか?
確かに、スマホを手放すと禁断症状が出る。
スマホにハマる前は将来への不安や過去の後悔にハマっていたのではなかったか。
今もそうだが。

燃やせないゴミを捨てるタスク

燃やせないゴミが、ゴミ集積所から回収されていなかった。私が出したゴミが。
おかしい。
私は指定された日に出したはずだ。
ゴミ回収する人が回収するのを忘れたに違いない。

間違えたに違いない。

捨てるべきでないものが入っているのか?そんなはずはない。
ゴミ集積所を2回通って、2回そんなことを思ったときに、
またこんな風にモヤモヤするのは嫌だなと思って、集積所に戻り、ゴミを回収し、家に持って帰った。


そして改めて燃やせないゴミの回収日を確認する。
第1、第3水曜日。
タスク管理アプリ(たすくま)で、設定している燃やせないゴミを出すタスクを確認する。
第1、第3火曜日と設定されている。
な、何ーーー!!!
私は、ゴミを、回収日の前日の夜、玄関にまとめておいて、当日の朝、出すのだけれど、
今年の11月は、第1火曜日が7日で、第1水曜日は1日なのである。
つまり、タスクを発生させる設定を間違えていたのだ。
いやーでもじゃあどうすればいいんだ?
燃やせないゴミを出すタスクを、第1、第3水曜日の朝に発生させれば話はシンプルなんだけど、朝のタスクは増やしたくない。
うーーーむ。

マンガ1日1話

LINEマンガは、1つのマンガにつき、1日1話、あるいは1週間に1話読める。

この仕組みはいいよなあ、と思う。

続きが気になるのだ。

続きが気になってKindleで単行本を買うことがあるのだが、それほどでもなかったことが何度かあった。

(LINEで買わずにKindleで買ってしまう。)

そもそも連載マンガは、1話で続きが気になるように描かれているからかもしれない。

 

Kindleの単行本を買ったら、1日1話しか読めないアプリってないだろうか。

Kindleで単行本を買うと400〜500円するが、10分ぐらいで読み終えてしまう。

もったいない。

何度も読めばいいのだろうけど、それよりも続きが気になってしまう。

最近、ジョジョKindleで買い始めて、今、4部の9巻まで買ったのだけれど、全巻買うのにいくらかかるのか考えると嫌な気分になるし、でも読もうと思えば1日では読めるだろう。

それを解決するために、1日1話だけ読みたい。

自分でそうすればいいのだけど、つい続きを読んでしまう、人間だもの。