本の装丁
妻が、佐藤雅彦の『新しい分かり方』という本を見て、
「あら、素敵な『テイソウ』。」
と言った。
『装丁』のことだったのだが。
まあ、それはいいとして。
私はこの本の装丁を、いいとも悪いとも思っていなかった。
強いて言えば、地味。
しかし妻はいたく気に入ったようである。
それから妻は、私の本棚からビジネス書を引っ張り出して、
「これはダサい。」
「これはまあまあ。」
とやり出した。
私は自分から、ある本を出して、
「これは?」
と聞いた。
妻は
「そんなの人に見られて死にたくならない?」
と言った。
その本は、
『モテる技術』。
結婚し、子どもが2人できた今でも処分できずにいる。
この本のおかげで結婚できた、というわけはないけれど。
しかし、私は不遇の(モテない)時代が長く、こういう、妻、いや、女性からバカにされるような本にすがって生きてきたのである。
私は図らずもテイソウを守ってきたのであった。
『モテる技術』は言わば、恋愛における『7つの習慣』である。
『7つの習慣』を読んだ人のほとんどが、『7つの習慣』を身につけられなかったはずだ。
しかし、処分できないでしょう?
自己啓発本好きな人は。
バイブルみたいなものだからね。
ぶ厚いしね。
みなさんの本棚の飾りになっているのではないでしょうか。
『モテる技術』もぶ厚いよ。
私は処分したけど、『7つの習慣』。
でも『モテる技術』は処分できない。
読まないんだけどさ。
自分のブログを読む
自分で自分のブログを読むとする。
「面白いとも面白くないとも言えない。」と思ったとする。
他人に読ませたとする。
「面白い。」と言われたとする。
あるいは「面白くない。」と言われたとする。
どの意見を採用すべきか?
「自分の感覚を信じる。」ことが良さそうに思える。
しかし、日記でもない限り、ブログにしろ何にしろ、他人に公開するからには、他人の感想を無視することはできない。
しかし他人はいっぱいいて、意見もいっぱいある。
どれを採用すべきか分からない。
他人を一人に絞るというのはどうか。
良さそうな気はする。
その一人に気に入られるように、ということではなくて、その一人が「面白い。」と言おうが「面白くない。」と言おうが、伝わればいいのだ。
例えば、妻は私のブログを読むので、書くときに頭の片隅にはあるのだけれど、しかし妻は『ライフハック』に全く興味がないので、ライフハックのことを書きたいときは、読者の一人としてふさわしいとは思われない。
そうなると、他の誰か一人を選んで読んでもらったとしても、「このテーマはあなたには分からないでしょうけど。」となるだろう。
やっぱり、私自身が良ければ良いのだろうか?
例えば、私のコピーロボットがいたとして、コピーロボットには、書いた記憶は同期させない。
それからコピーロボットに読ませる。
コピーロボットが、「なるほど。分かる、分かるわー。」と言えば、良いのではないか?
良いって何だ。
伝わりさえすれば良いのか?
ならカウンセラーみたいな読者がいれば良いのか?
(そもそもの話として、私は私のブログをほとんど読み返さないのだけど。)
友人のカフェ
仕事を21時に終えた。
書類のチェックである。
その書類の担当は定時に帰ってしまった。
妻も子も実家に帰ってしまったし。
さて、夕飯何にしよう。
午前10時にポークたまごおにぎりを2個食べたきりなのに、お腹が空いていない。
体調が悪いのか?
喉が荒れている。
車を走らせながら、ココイチにしようか、天一にしようか、バーガーキングか、うーん、どれもピンと来ない、などと考える。
ふと、帰り道に、友人が経営しているカフェがあることを思い出した。
少し遠回りだけれど。
(遠回りだったら帰り道とは言わないのか?
方向が一緒なのだ。)
昔は「友だちがカフェやっててさ。」と言って、女の子をデートに誘ったものである。
恥ずかしい。
デートできたこともあるが、交際に発展したことはない。
ほとんどは、一人で通っていた。
独身で、彼女もいなかった頃。
毎週のように。
相当暇だったのだろう。
家から40〜50分はかかる。
今では考えられない。
当時は『暇』だとは全く思わなかったが、今から見れば、相当『暇』である。
カフェに着き、席に座る。
友人はいないようだ。
全然変わらない。
十何年も経っているのに。
飲食店は1年で90%が潰れるのではなかったか。
言い過ぎか。
よく食べていたオムライスを頼む。
食べて驚く。
変わっていた。
オムライスのライスが。
そりゃあ変わるよなあ。
何かは変わるよ。
私だって変わったもん。
(ここで終わった方がキリがいいのだが、
まあ別に大した話でもないので続ける。
このカフェに来たのは何年振りというわけでもない。
2〜3か月前にも来た。
家族で。
そのときはオムライスを食べなかったのだろうか?
ライスはどうだったのだろうか?
思い出せない。)
謝ること
係員Bは休むと翌日、「すみませんでした。」と頭を下げる。
私は「あ、いや別に。」と言う。
心の中では、『何で謝るんだ?』と思っていた。
この係員はよく休むのだけれど、よく頭を下げた
しかし最近分かったのだが、大事なときに休んでも謝らないのだ、この係員Bは。
書類の提出期限などに休んでも。
私が代わりに提出したこともあったし、「まだ提出されていない。」と私が怒られることもあった。
そんなときこそ翌日「すみません。」、そうでなくても「ありがとうございます。」は欲しいのだが、ない。
私は『謝ることは難しいことなのに、よく簡単に謝れるな、この人は。』と思っていたのだが、やはりこの人も、『謝れ』ないのだ。
私の子どもたちも、ふいにぶつかったりして、親が「いたっ。」と言ったり、兄弟が少し泣いたりしたら「ごめんなさーい。」とか「ごめんねー。」と謝る。
しかし、親が酷く痛がったり(実際酷く痛い。)、兄弟が大号泣したりしたら、謝らない、謝れないのである。
よくて「ごめんねー。」と言い、相手が「いいよ。」と言わない、言えないでいると、「ごめんねって言ったのに!」と逆ギレする。
子どもは仕方ない。子どもなのだから。
私だって難しい。
m&m'sピーナツバター味
妻が「一人でこんなもの買い食いしてるのね。」と言った。
妻が、私の車の助手席に乗るときだった。
運転席の床に、m&m'sが散らばっていたのだ。
カラフルなm&m'sが。
味はピーナツバター。
あなたは食べたことがあるか?
ピーナツバター味を。
甘いが、塩気もある。
あとカロリーの味がする。(要は脂。)
アメリカ人が好きそうな味だ。
私は最近まで、ピーナツバターそのものを食べたことがなかった。
食べて驚いた。
甘くない。
私が想像していたのはピーナツクリームだった。
しかしなかなかクセになる味である。
さて昨日、職場を出ると、雨が降っていた。
金曜日で、雨。
道が混みそうだ。
普通でさえ1時間かかるのに、どれだけかかるのだろうか。
私は職場近くのコンビニに寄り、m&m'sを買った。
袋を開け、股にはさみ、食べながら運転する。
数粒食べたところで、袋を落としてしまった。
m&m'sが床に散らばる。
まだ数粒しか食べていないのに。
赤信号などで車が停車するときに、床を手探りする。
視線は前に向けたままで。
拾うと服で拭き、口に入れる。
※真似しないでください。
それを数粒やり、手探りで探せなくなったので、やめた。
車を降りる頃には、m&m'sを落としたことを忘れていた。
そのm&m'sが床に残っており、今日、妻に見つかったのだ。
燃やせないゴミを捨てるタスク
燃やせないゴミが、ゴミ集積所から回収されていなかった。私が出したゴミが。
おかしい。
私は指定された日に出したはずだ。
ゴミ回収する人が回収するのを忘れたに違いない。
間違えたに違いない。
捨てるべきでないものが入っているのか?そんなはずはない。
ゴミ集積所を2回通って、2回そんなことを思ったときに、
またこんな風にモヤモヤするのは嫌だなと思って、集積所に戻り、ゴミを回収し、家に持って帰った。
そして改めて燃やせないゴミの回収日を確認する。
第1、第3水曜日。
タスク管理アプリ(たすくま)で、設定している燃やせないゴミを出すタスクを確認する。
第1、第3火曜日と設定されている。
な、何ーーー!!!
私は、ゴミを、回収日の前日の夜、玄関にまとめておいて、当日の朝、出すのだけれど、
今年の11月は、第1火曜日が7日で、第1水曜日は1日なのである。
つまり、タスクを発生させる設定を間違えていたのだ。
いやーでもじゃあどうすればいいんだ?
燃やせないゴミを出すタスクを、第1、第3水曜日の朝に発生させれば話はシンプルなんだけど、朝のタスクは増やしたくない。
うーーーむ。
次女(2)が手を繋いでくれた
次女(2)が手を繋いでくれた。
今までは頑なに嫌がっていた。
長女(4)とは手を繋いでも、私とは手を繋がなかった。
なぜ今日は手を繋いでくれたのか。
「お菓子買いに行くよ。」と言ってコンビニに行ったからだろう。
愛嬌のないオトコはカネでオンナを釣るしかない。
(いや、お菓子を買うためにコンビニに行ったわけではないのだけど。
妻が「食パンと牛乳がない。」と言うのでついでに。
あ、私が最初に「お菓子買いに行くよ。」と言ったのではなかった。
長女(4)が「コンビニ行くのー?お菓子買いたーい。」と言い出したのだった。)